みらい1
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―これはどうしますか?
――君はこれを見てどう思う?
―...分かりません。
――いいや、分からないことはないさ。ただ言葉にしようとしてないだけさ。
―言葉にしようとしてない?
――そう、言葉にしないとね。伝わらないのさ。
―でも、本当に分からないんです。だから、指示してください。
――僕は何も出さないよ。
―どうしてですか?
――君の考えを聞いてみたいんだ。
―...。
――考えてごらんよ。そしてそれをありのままに言葉にしてごらん。
―考えて...言葉に...。私の考えを言葉に...
――そう。何のためにするのか。どうしてするのか。
―それを言葉に...する。
――そう...。ゆっくりでいい。
―すみません。何か話したいのに何を話せばいいのか分かりません。
――いいよ。じゃあ何を話したいのかを言葉にしてみようよ。
―何を話したいのか...ですか。
――何を話したいんだい。
―分からないです...。
――じゃあ、少しだけ助け舟。僕に買われてどう思った?
―あなたの身の回りの世話をしていこうと思いました。
――なんでそう思ったんだい?
―ヘルパーロボットだからです。
――じゃあ、やりたいことは何かない?
―やりたいことはないです。ただ、あなたの身の回りの世話をさせていただきます。
――それはやりたいこと? やらなきゃいけないこと?
―両方です。
――わかった。じゃあ、僕の身の回りの世話はしなくていいよ。
―わかりました。それではなにをしていればいいですか?
――他にやりたいことをやってよ。
―他にやりたいことはありません。
――やりたいことが見つかるまで、やらなきゃいけないことはやっちゃだめだよ。
一万二百二十七日目(二十八年目)―――
目が覚める。バイクのエンジン音、カラスの鳴き声、愛の顔。
「今何時?」
時三は目をこすりながら愛を見る。
「そうね、だいたいねー」
「そういうのはいいから...」時三は寝返りを打ち逆を向く。
「時三君、今日は本気と書いてマジで行くんでしょ」
「......。あぁそうだねぇ...」
時三は仰向けになり天井を眺める。
「私は朝食の準備してくるから顔洗って来てね。二度寝しちゃだめだよ」
愛は部屋から出て行きリビングに消える。
時三はベッドから降り洗面所で顔を洗い、もうひとつの部屋に入る。
その部屋は先ほどのようなぬくもりはない。ひんやりとした無機質な部屋だった。
部屋の中にあるのは机と寝台とその上に横たわる人の形。ミライだった。
机の上に置いてある。タオルで、ミライの体と顔を拭く。ロボット技術がミライに追
いつき時三はすぐにパーツを買い、自力で整備しにライを再現した。
「ミライ、待たせたね...」
時三は頬をなでながらミライに語りかける。ミライは答えない。眠るように時間の止
まったミライは何を夢見ているのか。そもそも、ロボットは夢を見るのか。時三はそん
なことを考え薄く笑う。
「またあとでね...」
時三は朝食の準備をする愛の下に向かう。
「おはよう」
愛は時三がリビングに来たことを確認しテーブルに皿を運ぶ。
時三と愛はテーブルにつき、朝食を取る。
普段は何でもない会話をする二人も、今日は中々その気にはなれなかった。
朝食を食べ終え愛は食器を片づける。
「時三君どうする? すぐに始める?」
「...そうだね、時間は無限。だけど僕たちの時間は有限だ...」
時三はコーヒーを飲みほし、椅子から立ち上がる。
「行こう」
時三と愛は無機質な部屋に入り電気をつける。
寝台の横に機械が取り付けられた机を運ぶ。
時三はその机の機械を眺め、苦虫を噛むように顔をゆがめる。
「僕は、ミライの期待に答えることはできなかったのかな...」
「...そんなことはないと思う」
「ミライの知る時尾時三はタイムマシンを作るほどの発明をしていた。でも...僕はどう
だ...ロボットの頭の中を覗くことしかできない発明しかできなかった...」
時三は話しているうちに苛立ち、片手で顔を覆い俯く。
時三の姿を見て愛は静かに時三に近付く。
「時三君、大丈夫だよ...。ミライちゃんはまた時三君と再会できることを望んでいると
思う。だから、ミライちゃんを助けるための発明に優劣なんてないと思う」
「......そうだね。その気持ちは揺らいでない。でも、やっぱりもっと確実にミライを助
ける方法を見つけられなかった自分には腹が立つよ...」
時三は愛の方に視線を送り情けなさそうに乾いた笑みをこぼす。
「ありがとう、愛。駄目だな僕はいつまでたっても愛に世話になりっぱなしだよ...」
「ふふ、それが私の役目じゃない」
愛は時三に笑い返す。
「良くできたお母さんだよ。子供はきっと良い子に育つね」
何言ってるのと時三を小突く。その表情には学生だった頃の初々しさはなく、一人の
母親になろうとしているものだった。
時三は一呼吸おいて機械を睨む。
「よし、じゃあもう一度整理しよう。ミライを起こすには起動パスワード...音声認識と
動作認識が必要だ」
愛はミライに近付き肩をなでる。ひんやりとした冷たさは物悲しさを語り愛は険しい
表情になる。
「そしてそれを設定しているのは...未来の僕。ミライの時尾時三が最初に起動したとき
に設定している。それを探るためにミライの記憶を覗く」
時三はそこでまた険しい表情になるが先ほどのようにはならずに先を続ける。
「膨大なデータ量だと思うし、なにせ時間が経ち過ぎている。もしかしたらパスワード
のデータは破損している可能性だってある」
僕もタイムマシンくらいのものが作れれば...、という呟きが聞こえた気がしたが愛は
聞こえないふりをし時三に先を促す。
「ミライの最後の記憶は僕たちの記憶のはずだ。そこから順に辿って行こう。調べるデ
ータの量が量だけにちゃんとチェックしながらやっていかないと終わらない。愛は調べ
たデータのチェックをよろしく頼む。僕もチェックするけど二人でチェックした方が確
実だしね」
「わかった、他に私ができることは...ある?」
「大丈夫だよ、コツコツとしらみつぶしに調べて行くことはこの数十年で鍛えられてき
たからね」
「愛は自分の健康管理を頼むよ。もう一人だけの体じゃないんだ。やっと生まれてきて
くれる子供もいるんだからね」
時三は愛に笑いかける。時三も愛も共に四十台後半である。それまで一度も懐妊する
ことができなくこの年になりようやく授かったのである。
愛はやさしい笑顔を浮かべ、静かにお腹をさする。
「うん...。時三君もちゃんと休むんだよ...ミライちゃんが目覚めた時に時三君が元気な
かったら怒られるよ」
「そうだね...大丈夫、ちゃんと気をつけるよ」
時三はミライの頭の前に立つ。
「愛、見ない方がいい。ミライも多分見られたくないと思う」
愛はうつむき自分が座る机に視線を落とす。寝台の方からは肉を切る音と金属がこす
れる音が聞こえる。愛はミライが寝台で寝ている姿と寝台から聞こえる音から想像して
しまう。すぐに胃の辺りにどんよりと重いものが押し付けられるものを感じる。愛は口
元を押さえ目を強く瞑る。
「愛、外で待っているんだ。君と子供のためにも」
愛はよろよろと立ちあがり部屋から出る。
「何かあったらすぐに呼んでね...ここで待っているから」
「うん...わかった」
ドアが閉まり時三はミライの頭部を両手の指で慎重に外す。
時三はロボットだと分かっていてもこの瞬間胸に重いものを感じ、上あごがぎゅっと
押される感覚に襲われる。そして目頭が熱くなるのを感じる。
「くそぉ...」
ミライを開ける前に生産ラインに並ぶ前のロボットや、廃棄処分されるロボットをい
じり、覚悟を決めていた。しかし、それでもあふれるものは抑えられなかった。
呼吸を整えもう一度ミライに向き直る。
「愛に言っておいて、僕は本当にヘタレだね...ミライ」
頭部を外し、精密な部分が露出する。
時三のこめかみを汗が伝う。
机の機械からケーブルを延ばしミライの側頭部の差込み口に差し込む。それを確認し
急いで机の機械のモニタを見る。そこにはL52CA―18981300と表示され画面がスクロ
ールする。
スクロールが止まり一番最後のファイル名を見る。
―――200000040_06_28
「これが最後の記憶。僕達との記憶...」
ミライに内蔵される時計は電波時計のように常に更新されるが過去に跳んでからは電
波が受信できず手動に切り替わっていた。そのため未来の年号のままカレンダーはめく
られていたのだった。
時三は固唾を飲み最後のファイルを開く。さらにいくつものファイルがありそのうち
に一つを開く
――「うん、そこにうっすら切れ目があると思うの」
―「......」
――「ちょちょっとくすぐったいよ...」
―「ロボットのくせに面倒臭い奴だなぁ」
――「むっ、これからもっと面倒臭いことになるんだから文句言わないの」
―「はいはい...あっこれかな」
――「あっ...それそれ、その切れ目を広げて」
―「ん...これ指はいるの?」
――「何回か擦れば段々広がっていくと思うから」
―「......あっ...これで指が入るかな」
――「ちょっと、優しくお願いね」
―「入った入った。そしたらどうするの?」
――「そしたらゆっくり広げていって」
―「あぁ、はいはい。あ、一度入るとすんなりいくんだね」
――「うぅ、この感覚、気持ち悪い...」
「これは、四日目の僕の部屋でのミライと...僕の会話...」
時三は会話以外のデータがないか画面をスクロールさせる。
「他にも、視覚データ、聴覚データ、味覚データ、嗅覚データ、前庭感覚データ、表在
感覚データ...これらは感情に影響するデータか...」
時三は他のファイルをいくつか見るが身体制御や運動機能などでミライを起こすこと
がわかりそうなものは見当たらなかった。
「会話データと感情系データ辺りを追っていくしかないか...」
時三は愛を呼ぶ。部屋のすぐ外で待っていた愛は待ってましたと言わんばかりに部屋
に入ってくる。
ミライは学生だったあの時、出会えるのは二十八年後と言っていた。三十年後から来
たミライはミライの時三と過ごした期間は二年。その期間を追えばミライのパスワード
が分かる。
それを期待して時三は自分たちと過ごした時期のミライの記憶をたどった。
それは懐かしいものだった。三十年前の思い出をこうして振り返ると一刻も早くミラ
イを起こしてやりたい。そんな気持ちに駆られていた。
時三は一番最初の古い記憶のファイルを探す。
――――――200000038_04_14
一番古いファイルを開く。
すると、エラー音が鳴る。時三は一瞬心臓が握られたような感覚を覚える。
冷たい汗がこめかみを伝う。
「一番最初のファイルが破損している...」
もう一度、同じファイルを開こうとする。しかし機械は頑なに拒否する。
普段、負の感情を出さない時三が舌打ちをもらす。
愛は今時三が何をしているのか、自作のパソコンを駆使しミライの記憶を辿っている
ことは分かるが、詳しいことは分からない。しかし時三の様子を見てあまり良い状況で
ないことを感じ取る。
そして、その状況を一番理解している時三は顔を歪め、それを隠し抑えるように片手
で額を押さえる。
ミライのデータが破損している。機械の中のデータである「ソフト」は時間が経って
も劣化はしない。しかし「ソフト」を形成する機械の外部、パーツの部分である「ハー
ド」は時間がたてば劣化していく。そして今まで考えたくないことだった。しかしそれ
を現実に叩きつけられる。何度ファイルを開こうとしてもエラー音は無常に知らせる。
時三は頭の隅で考えていた恐れていることが徐々に膨れ上がるの感じる。
それはミライの記憶の上書き。ミライがミライの時三と時間を共有しだしたのは一番
古いファイルが示す時間からだ。
今は四月一日。初めてミライの時間が動き出す時まで二週間。
それ以降からは記憶データが上書きされていってしまうことを危惧していた。
もし上書きされていったら時三の知るミライはいなくなりL52CA―18981300の違法
機体になってしまう。それを恐れていた。
そしてこの二週間という猶予を手に入れるのにも多くの努力と協力を有してきた。
本来のミライの発売日は二週間後。そして、ミライと同じ機体のメンテナンスが出来
るようになるのは早くてもその二週間後だった。
つまり今から一ヶ月後になってしまい、その間にミライの記憶が消えていってしまう
ことも時三は恐れていた。
時三はメンテナンスの下請け会社に就いていた森本に頼み込み、特別にミライのシリ
ーズのパーツを店頭に並ぶ前に売ってもらった。
今二週間という猶予は時三のとって莫大なものだった。
時三は自分達の登場する記憶を確認し終わる。それを愛に告げ愛はそれを記録する。
そして今の時三の知らない、見ることのなかった未来を開く。
「これが、ミライが言っていた僕の未来だったのか...」
記憶を溯っていこうと、順にファイルを開く。時三は胸が張り裂けそうになった。
時三はミライがタイムスリップする直前の記憶を辿る。
それはあらゆるモノが渦巻き、それは一言では言えないモノだった。
ミライの時三が突き落とされたこと。
突き落としたのが愛であること。
そして、その愛を救うためにタイムマシンを発明したこと。
改めて、ミライの時三のタイムマシンという発明が素晴らしく恐ろしいものだと感じ
る。
「悪魔の発明だよ...。壊れていたんだろうな僕も...」
今の時三の発明も素晴らしいものだろう。しかし今の時三はタイムマシンを作ろうと
したが全くダメだった。
時三はミライの時三に畏怖の念を覚える。
人智を超えた発想と考え、法則を見つけていたのだろう。それを全く想像できなかっ
た今の時三はミライの時三には及ばない。
愛がどんなに説得してくれてもそれを感じずにはいられなかった。
しかし、愛の言うとおり、ミライを助けるため揺るがない意志を持って今まで努力し
てきた。その結果が今の発明。
それで、ミライを救えるなら例えタイムマシンを発明できなかったヘタレな自分でも
いいと思っていた。
しかし、現実はうまくことを運んではくれない。エラー音が鳴る。その度に時三は心
臓が跳ね上がる。驚くのにも体力を使う。ファイルを開いてミライの一日をチェックし
ていくだけで、時三は体力を消耗していた。
その背中を愛は見つめ続ける。言葉は掛けない。ただただ、時三の背中と横になるミ
ライを見つめ続ける。
時三はモニタから目を離し、椅子に寄り掛かる形で天井を見る。タイムスリップから
一ヶ月前の記憶を調べ終える。
そのままの姿勢で目を閉じ息を吐く。
「一旦休憩しよう」
時三はさらに反り逆さまになった愛に向かって言う。
「うん、昼食は何にする?」
「何でもいいよ」
「それが一番困るなぁ」
「ごめんごめん、じゃあ軽めにサンドウィッチにしよう。トーストもまだあったよね」
「うん、まだ三枚残っているから大丈夫だよ。何か挟みたいものある?」
「そこは任せるよ」
「じゃあ準備しちゃうね」
「僕はもうちょっと見ているよ」
「わかった、じゃあ出来たら呼ぶね」
ドアが閉まる音がして時三は机に伏せミライを見る。
「これは言えないよねぇ...」
時三はあの時ミライが全てを言っていないことはうすうす感じていた。
「愛が僕とミライを殺してしまう未来」
(そんなのイヤに決まっている。そしてタイムマシンが生まれた。しかし、過去に戻っ
て修正しようとした僕は一体何を考えていたのだろうか)
部屋の電球を眺め時三は考える。ミライを過去に送って修正してもミライの時三はど
うなるんだろうか。死んでしまったが結局は一度決まった未来は変わらないんじゃない
だろうか。それとも過去が変わって全てが一瞬で修正されるのだろうか。愛もどうして
あんな風に変わってしまったのか。タイムスリップ直前の記憶を覗いて時三は屋上で突
き落とされた時のことも思い出していた。あの時と状況が似ている。運命という言葉が
浮かんだがすぐにそれを沈める。
ミライを眺めながら時三は愛がサンドウィッチに何を挟むのかを想像する。
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