赤目の林道先生

9日目1

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 次の日、九日目、お昼休みに空き教室に呼ばれた。弁当を持って二階の階段を通り過ぎ閑
静な廊下に入る。その一番奥に空き教室があり、いつもリンドウ先生が何かしている(らし
い)場所だ。
 一番奥に着き扉を開ける。すると中には…えぇ…と名前なんだっけ…? …髪の長い男
子が座っている。男子は入ってきたマナを見た後すぐに視線を机の上に戻す。マナもつら
れて机の上に視線を移すと人形が飾ってあった。男子はその人形を待てをされている犬の
ような勢いを感じる。
 そういえば先生が見えない。マナは教室を見渡すがリンドウ先生はまだ来ていない。扉
付近の椅子に座って先生が来るのを待つ。
「……」「……」
 重い…。リンドウ先生は何をやっているの。呼んだのにまだこないなんて。
「あ、あの…」
 お弁当食べてから来れば良かった。今のうちに食べちゃおうかな…。
「あ、あの…」
「ぇ、…ん?」
 マナに話しかけてきた、の? 後ろを見ても誰もいない。マナに話しかけたんだ。
「なに…?」
「あ、リンドウ先生に…呼ばれて?」
「ぁ…はい…」
 その肝心のリンドウ先生は何をやっているの。早く来て欲しい。今すぐ来て欲しい。さ
っさと来て欲しい。
「……」
「……」
 沈黙で押しつぶされるほどに空気が重くなる。下手に話しかけると押しつぶされて死ん
でしまう。ここはどれだけ沈黙に耐えられるか持久戦だ。
「……」
「……」
 時間はリンドウ先生が来るまで。でもあの先生は時間にルーズ、というか全体的にいい
加減なイメージ。何時来るかわからない心理的負荷…! あらゆる要素がこの耐久レース
を築き上げている…!
「……」
「……!」
 足音が聞こえてきた。何やっていたのだろうか。
「……ん?」
 足音が聞こえるが、なんというかこれはタップダンスだっけ? リズムのいい床と靴底
を叩く音が近づいてくる。もしかしてリンドウ先生じゃない…?
 席から立ち上がり廊下を覗く。すぐそこにでリンドウ先生がリズムよく空き教室に向か
っている。なんか気持ち悪い。
「あ、マナちゃん。ごめんね、遅れちゃって…」
「踊っているところは突っ込んで良いのですか?」
「あ、これは……あのさシカバネ君に会えるのが嬉しいからってボクを使って踊らないで
くれないかな…」
 なんか呟いている。と、思ったら普通に歩き出す。
「あぁ…ごめんごめん。……あ」
 何があっなんだろうと思ったとき何かがマナにぶつかった。吹き飛ばされたかと思った
ら、別に強い衝撃を受けたわけでもないが良く分からない力に座り込むように尻餅ついた。
ゆっくりと目を開けると別に何もない。
「『いやー何かにぶつかったかと思ったよ』」
 今誰が喋ったの?
「いや、ぶつかった、かも」
 リンドウ先生がマナを見ながら突っ込みを入れる。もしかして今喋ったの…マナ?
『すまないね。いきなり飛び出すから君にぶつかって乗り移ってしまったみたいだ』
 乗り移る? え? 何? 何が起きたの?
『聞こえているよね? 聞こえているなら早く立ち上がったほうが良い。パンツが丸みだ
よ』
 反射的に脚を閉じる。すると
『ふふ、ここの廊下には誰もいないよ。まずは落ち着いて。そしてリンドウ先生から話し
を聞くんだ』
 咄嗟にリンドウ先生を見上げる。先生はすでに教室に入ろうとしていて半身だけ覗かし
てマナを見る。
「大丈夫? とりあえずそのまま教室の中に入ろうか」
 マナが唖然としていると体が勝手に起き上がる。
『大丈夫かい?』
 なぜだか、知らない女性の声が頭の中に聞こえてくる。そしてその声はさっき乗り移っ
た、と言っていた。それはつまり、その…何が起きててどうしてこうなっているのか、分
からない、ということだけが分かった。
『それは何もわかっていないってことだよ。さ、教室に入ろう』
 言われるがまま教室に入る。
「やぁ、シカバネ君もちゃんと来てくれたんだね」
 シカバネ君…? そんな名前だっけ…?
『鹿羽剛士。ちなみに私は剛士と呼んでいる』
 普通に女性が話しかけてくる。マナは普通に受け入れていいのだろうか。
『ふふ、実際に聞こえているのなら反応してもいいのではないかな。私はリンドウ先生か
らフィギュアと呼ばれている』
 フィギュア、フィギュア。
『ん、なんだい?』
 あなたはなんなの?
『私は元々、そこで剛士の机の上にあるフィギュアから生まれた意思なんだ』
 それは、幽霊なの?
『幽霊かと聞かれると違うよ。まぁ死んだことがあるかないかの違いしかないと思うけど、
生憎私は幽霊になったことがないのでね、幽霊が何を出来るかは分からない』
 どうして、フィギュアはマナに乗り移ったの?
『実は先ほどまでリンドウ先生に乗り移っていてね。本当は本体のフィギュアに戻ろうと
したんだ。そしたら君が飛び出したところにぶつかってしまってね。それで今の状況にな
る』
 ぶつかるんだ。
『幽霊ではないからね』
 軽く笑いながら答える。今すぐ本体に戻ることはできないの?
『できるよ』
「あ、ちょっと待って」
 リンドウ先生が鹿羽との会話を中断してマナの肩に手を置いて目を見る。その目は赤い。
「うん…これなら会話出来るね。フィギュア、このままマナちゃんに乗り移ったままでい
いよ」
「先生」
「なんだいマナちゃん?」
「乗り移られたままでいる意味はなんでしょうか?」
「まぁ二人と一体のためにね。よろしく頼むよ」
 二人と一体のため…? どういうことだろうか
「『話が見えてこないですね。どういうことですか?』」
 今のはマナじゃない。まぁ同じこと聞こうとしてたから別にいいけど。
「君らは共通して人とのコミニュケーションが足りていない。そこを補うために君ら二人
で行動してもらう」
「『私は多くの人を見てきたのですよ。大丈夫ですよ』」
「フィギュアの場合は見てきただけで人の気持ちを知ることが足りていない。思ったこと
をすぐ実行するんじゃなくて、もっと周りを見るんだ。昨日言ったばかりだろう」
「『ん、そうでしたね。分かりました。気をつけてみます』」
 フィギュアが少しムッとした感情がマナに流れてくる。こういうところまで一緒になっ
てしまうのかな。
「マナちゃんが何かを感じればフィギュアにも伝わる。それで人の気持ちを理解するんだ。
まぁマナちゃんにはちょっと悪いけど我慢してね」
 我慢してねって…。マナのプライバシーがなくなるということじゃ…。
『大丈夫だよ、私は性別の設定は女性だ。恥ずかしがることはない。仲良くやろうじゃな
いか』
 うぅ、どうなるんだろう…。
「あ、一旦フィギュアはボクに戻ってくれ」
 マナの体を風が通り抜ける。これが、離れた時の感触なのかな。なんだか背筋に寒気が
走る。
 リンドウ先生はじっと教室の一点を見たまま動かない。フィギュアと会話しているのだ
ろうか。
「あ、あの…君はなんで呼ばれたの?」
「ぇ…ぁ…」
 油断していた…。そうだ鹿羽がいたことを。しかもマナに話しかけてくるなんて…。ケ
ンとマホ以外、もうそんな人、学校にはいないと思っていたのに。
「…先生に……呼ばれたんだよね?」
 どもるマナに鹿羽も語尾が小さくなる。そう、マナも呼ばれた。昨日マナに話があるっ
て言って。それが今日の昼になった。
「…ぇっと、ぁっと」
 それを口にしようとすると息が詰まる。突然空気が重くなってマナを押しつぶす。どう
しよう。これじゃ、また一週間前に逆戻りだ。せっかく話しかけてくれたのに。
「『そう、昨日話があると言って先生に呼ばれたのだよ。君はなぜ呼ばれたんだい?』」
 口が突然軽やかにしゃべりだす。自分が口にしたのにマナは驚き口を開いたまま固まる。
そして鹿羽はマナの解答と質問にしどろもどろしている。
『ふふ、君ら二人はいつもああなのだよ。先生はそれを治したいのだろう。私はそれの手
伝いだ』
 フィギュアが戻ってきた。
『おやおや、私が帰ってくるのを待っててくれたのかい。嬉しいこと言ってくれるじゃな
いかッ!』
 本当に嬉しいらしい。マナもなぜか嬉しい気持ちで妙にテンションが上がってきている。
これはフィギュアの感情であって、マナの感情ではない。しかしそれを抑えることはでき
ず、ぎこちない笑顔が漏れる。
「お、変な顔。笑っているのかい?」
「あっ…見ないでください」
『おいおい、どうしたんだい? なんで顔を隠して嫌がる?』
 今、マナは笑っているの?
『あぁ良い笑顔だったよ。とっても可愛かった』
 でも、今リンドウ先生は変な顔って…。
『リンドウ先生はそういう人じゃないか。人をからかうのが好きで、いい加減な性格、だ
ろう?』
 ……。そうだね。本当にマナと色々なことがつながっているんだね。
『あぁ、それは私にも言えることだ。私を意識すれば、私と何も変わらなくなる。そうす
れば深淵なる湖から浮かび上がる水泡のように記憶に触れることが出来る』
 ……。つまり、どういうことかな…?
『私を意識する。そうだな。まず剛士の横のフィギュアを見るんだ。可憐で凛としたし少
女の人形が胸を張って立っているだろう? あれが私だ』
 自分で可憐とか凛とか言わないでよ。
『ふふ、事実を言ったまでだよ。私はそういうコンセプトのキャラクターだからね』
 なるほど。
『さぁイメージしてごらん。きりっとした表情に一糸乱れぬ制服に纏った姿をッ! そし
て民を従えッ! 民を思いッ! 民を明日に導くその姿をッ!』
 後半のイメージは無視しよう。イメージ。イメージ。きりっとした表情の少女、そして
その姿。
 すると、マナの頭に浮かび上がる。
「あっ…」
『それが私の記憶だ…』
 …よく、そんなにキリッとしていられるね。マナだったらすぐにダメになっちゃいそう。
『ふふ、それはね。皆私を必要としているからさ。人形の私にはそれが全てなのさ。例え
どんな使い方でも私を必要としていることが私の存在意義。きっと人であるマナには分か
りにくいことかもしれない。これは、ちょっと簡単には口で説明できないかな。それに私
はキリっとした顔の人形だ』
 色々な世界を見てきたんだね。なんだかマナの見てきた世界が本当に小さなモノに見え
るよ。
『何言っているんだ。君の世界は君の中にしかないんだ。大きいも小さいも比べられる世
界なんてないじゃないか』
 なんだかフィギュアはすごいね。自分がしっかりしてるんだもん。フィギュアがもしマ
ナ達と同じだったら困っている人を助けられるかもね。
『そんなことないよ。私なんかまだまだ知らないことが山ほどある。それに私も「問題」
を抱えていた一人さ。リンドウ先生に会わなかったら、人の心を理解するために人の心を
犠牲にしていただろうね』
 これは……ケン? あ、ちょっと……何やってるの……もう…。
『ふふ、私はケンの心をひどく掻き乱してしまったのだよ。人の心に土足で踏み入った。
リンドウ先生にあの時掴まれなかったら、土足で踏み込んでいたことにも気付かずにいた
だろうね』
 気付かされたのは昨日の夜なんだね。
『あぁ、リンドウ先生に昨日は耳にタコが出来る程言われたよ。興味本位や自分中心に動
くなってね』
 暴走しだすと止まらなくなりそうだもんね。
『そこは否定しないでおくよ』
「マナちゃん聞いてる?」
 リンドウ先生に不意に名前を呼ばれる。
「それで、君らは今日から一緒に行動してくれ」
 先生がマナと鹿羽を見てそう言った時、タイミングを計ったかのようにチャイムが鳴り
昼休みは終わりを告げた。
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