物語

とある街で1

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 部屋の天井が見える。いつものなら目覚ましで起こされるところをどうやら目覚まし
より早起きをしたらしい。時間は五時過ぎ。学校まで三十分あればつく距離だからこん
な早起きをする必要はない。
 全身が汗ばみ寝巻きが体にからみつく。
――またあの夢だ……。
 レイが死んだときの夢。虚ろになっていく目、冷たくなる手。今でも鮮明に思い出す。
「ま、この夢のおかげで寝坊はしなくて済む」
 欠伸をしながら風呂場に向かい脱衣場で寝巻きを脱ごうとする。その時、洗面器の鏡
に自身の上半身が映り込む。
 そこには寝ぼけ眼の開堂マドカ。俺の姿がある。
「シャキッとしろよなぁ、俺よぉ……」
 そう言い聞かせて寝巻きを洗濯機に放り込み風呂場に入る。浴槽に湯は張っていない。
蛇口をひねりシャワーを顔に浴びせる。冷たいシャワーが徐々にお湯へと変わる。
 温かい粒が顔にかかる。
「アーちっとも目が覚めない」
 正直朝は弱い。というか早起きということができない。そのため高校生になった今、
部活というもの、特に運動部など無縁であった。
 シャワーを浴びながら、あの時から今までを思い出す。

 レイは死んだ。
 俺を突き飛ばし、代わりに粗大ゴミに押し潰されて死んだ。
 その時のことを全然覚えていなかった。ミミに言われてケーサツを呼んだらしいが全
く記憶になかった。
 そのせいだろうか。レイが死んでしまったことにも未だに実感がなかった。
 俺は警察の事情聴取を受けた。だけどあっさりと事件性はないということですぐに母
親が迎えに来た。母親からも何を言われたかを覚えてはいない。
 俺はレイが死んだことに実感がなかった。ニュースにも、新聞にも載っておらず、レ
イの家族からも何の接触もなく。学校に行っても席がなくなっているだけ。ケータイも
無くしてしまいミミと連絡もできない。
 まるで俺だけどこか違う世界に来てしまったんじゃないかと本気で恐怖した。
 袋小路に立たされたように部屋から出ず何も飲食をしない日が続いた。母親も何も言
わないし、何もしなかった。小さな俺はわけが分からなくなってただただ部屋にこもっ
ていた。そんなある日、部屋のドアをノックした人がいた。
 ノリコさんだった。
「ねぇ、マドカ君。私よ、ノリコ」
「……何しに来たの?」
「マドカ君が大丈夫かなって思って……」
 ノリコさんはミミを通じてレイのことを知っていたのだ。
『レイ』という言葉を久しぶりに聞いた気がした。俺は聞かずにいれずノリコさんに聞
いた。
「ねぇ……レイは、死んじゃったの?」
 ノリコさんは長い沈黙の後ゆっくりと口を開いて言った。
「レイちゃんは、死んだわ」
 俺はその時に自分が現実にいることを実感した。色々なモノが溢れてきたのを覚えて
いる。
 ノリコさんは俺の頭を、やさしく撫でて抱きしめた。
 その時なぜか涙を流したのを覚えている。
 なぜこの時を鮮明に覚えているかというと今になってとてつもなく恥ずかしい記憶だ
からだ。
 その後何回もノリコさんは俺に会いに来てくれた。
 俺はノリコさんと話しているうちに徐々に元気を取り戻すことができた。
「新しい場所で新しい生活をするの。そうすれば、すぐに元気になるわ。マドカ君が良
ければ、うちに住まない?」
 すぐに俺はノリコさんの提案に乗って引っ越した。
 この人は俺を違う世界から助けてくれた人。こんな家にいるよりノリコさんのところ
にいたい。

 家を出て行く最後の時まで結局母親は何も言わなかった。俺はこの時、なんとなくも
うこの人に会うことはないと思った。けど、「お世話になりました」と一言だけ言って今
まで住んでいた家に背を向けてノリコさんの自動車に乗り込んだ。
「マドカ君……って呼ぶとよそよそしいからマドカってこれから呼ぶわね。よろしく、
マドカ」
「よろしく……おねがいします」
 ノリコさんが運転する自動車に揺られながらこれからの話しや他愛のない話しをした。
「マドカの苗字は麻都だけど、うちにくる以上は開堂って名乗ってもらうわよ」
 小学生の俺には苗字が変わることの影響ということがよくわからない。けど開堂円と
なったことは今までの麻都円はいなくなった気がした。
「それから、大事なことだから始めに言っておくわ。私離婚してるから家にはお父さん
ってモノがいないんだけど……」
「だいじょうぶだよ。僕も前の家では父親っていうのはあまり見たことないし、うん…
…、だいじょうぶ」
 ノリコさんは困ったような言い方をするから心配かけないように何度も「だいじょう
ぶ」と口にする。
「そう言ってもらって助かるわ。ずっと研究、研究で私も親っていうのがよくわからな
くて。マドカのお母さんはマドカにどういう風に接してたの?」
「……わからない。同じ家にいたけど全然話したことないから。……あっでもノリコさ
ん仕事たいへんなんでしょ。僕はひとりでもだいじょうぶだからね!」
「ありがとね。でもマドカを独りにさせとくのは心配だから。私なりに考えがあるの。
マドカに渡したケータイあるでしょ?」
「これ?」ノリコさんに言われてケータイを取り出す。
「そ。で、もう知っていると思うけどミミって人工知能なのよ」
 まぁ細かく言うと違うけどと付け加える。
「うん、しってる。ケータイの中に住んでいるんでしょ」
「そうそう、それでね。ミミもそろそろケータイの外に出してあげようかと思うの。そ
うしたら私とマドカとミミの三人で暮らすの」
「いいと思う。ミミとならずっと一緒にいたから、へいきだと思う」
「うん、よかった。……それとこれから向かう先は結構物珍しいことがあったりするけ
ど関わっちゃダメよ」
「めずらしいことって、なに?」
 めずらしいことといわれると気になってしまう。
「知らなくていいことでーす」
「教えてよー」
「ダメでーす」
「ケチっ」
「ふーんだぁ、おしえませんよぉー」
 ノリコさんは茶化してしまいそれ以上聞けなかった。


――今にして思えば、まずミミが物珍しい存在だろうよ。
「そうだ、ミミを起こさないと」
 風呂を出て、体を拭く。二階の自室に戻って制服に着替えてから再び一階に下りる。
廊下の突き当たりにある部屋にだけは鍵がかけてある。それをノリコさんから預けら
れている鍵で開ける。
 部屋の中は薄暗く。パソコンのモニターだけが部屋の様子をぼんやりと照らしている。
 部屋の電気をつける。相変わらず部屋は大蛇のような束ねられたケーブルが床に横た
わっておりおもいっきり縦断している。そしてパソコンがおいてある机は資料という名
の紙くずが散らばっている。
――なぜノリコさんは一日でこうも部屋を汚すことに長けているのだろう。
 その資料の山を掻き分けノリコさんから渡されたファイルを拾い上げる。それを広げ
てパソコンに表示されている数字を一つ一つ確認していく。
「っと、えーっと……サイバーダイブを試みますっと」
 実験やメンテをする時は例え一人でもこういう風に認証声紋を通さないと使えない。
それにこれは周囲に何をするかを伝えるためでもあるらしい。正直俺にはよく理解でき
ていない。ちなみにサイバーダイブはミミをメンテするのに必要な手段である。
 再びファイルに目をやる。ファイルに挟まれている用紙には駆動系、各計器の出力、
エネルギー循環器。こういった単語が英語で書かれているらしいが、あいにく俺には読
めない。俺はただファイルに記された数値――基準値――とパソコンに表示されている
数字――実際値――の数字と誤差をファイルの表をコピーした用紙に書き込むだけで、
これが何に使われたり、誤差があるとどこに問題が生じるかなどは一切合切わからない。
「異常なし。ほら、起きろミミ」
 俺はパソコン越しに座っている相手に声をかける。
 何の変哲もない椅子に背筋をピンと伸ばして座っている白いワンピースに身を包まれ
ている女の子。一つ女の子と違うのが天上から伸びる指ほどの幅の管が二本、後頭部に
刺さっている。これはミミに充電するためのものとミミの状態をリアルタイムでチェッ
クするためのものだ。
 この子は良く出来た人形……というべきなのか。ミミは元々体がなかった。そこにノ
リコさんが人の形の入れ物を用意した。そしてミミをそこにぶち込んだという単純明快
だが無理難題なことをやってのけた。一応どうやったかを聞いてみたことあるが何を言
っているのか一から十までわからなかった。
 そして今でも思い出す……いや刻み付けられた。体を手に入れたばかりのミミは触れ
るものを手当たり次第触りまくり、ノリコさんを困らせていた。そしてそれは中学生の
俺にも被害を及ぼした。
 俺は男の弱点をおもいっきり握られあまりの痛みに気絶した。下半身裸で白目をむい
て泡を吹いて気絶していたところをノリコさんに助けてもらったが、ノリコさんは笑い
ながら「肉食獣に食べられる草食獣みたいだったよ」と笑っていたという痛ましい記憶
だ。あぁ、思い出したくない
 そしてそんなことを思い出している間もミミは目を覚まさない。俺はファイルを机の
引き出しにしまってミミに近づく。
「朝だぞ。起きろミミ」
 起きない。
「おい、起きなさい」
 起きない。
「あーさーだーぞー」
 頭を掴んだグラグラ揺らしてみるが起きる気配は一向にない。第一ロボットだから直
接的な刺激とかじゃあ目を覚まさないのか?
「電気でも流したら目でも覚ますのか?」
 そういいながらミミの初期起動に使う電源プラグを手に持ちミミに近づく。
「ちょちょちょ待ったァ!」
「なんだ寝たふりか……」
 ミミはすばやく電源プラグを俺から奪い取り野良猫のように警戒心をむき出しにする。
「寝たふりですネ! それに電源プラグなんかさしたら一生目覚まさないことになっち
ゃいますネ!」
「いやー冗談ですってー。やるわけないでしょー? ねぇ?」
「嘘ですネ! そのイントネーションの時は嘘ついてるときの声ですもん!」
「ミミだってすぐに起きなかっただろ? それでおあいこだ」
「ちょっとした冗談と死ぬ可能性が釣り合っちゃうなんて……人って怖いですネ」
「人なんて常に、都合と居心地の悪さに振り回される生き物ですよ」
「ミミにはそーゆーことよくわかりません」
「まぁ今のミミならそのうちわかってくると思うよ」
 ミミにはm.s(ミミックシンパシー)システムというものが搭載されているらしい。
これはノリコさんが研究していた分野を応用したものだそうだ。なんでも人間と機械の
架け橋になるんだとかなんとか。
 それでそのm.sシステムは名前の通り真似事――ミミック――から始まる。人の仕草
を真似して人の動き方などを覚える。しかしそれだけでは自発的には動けない。そこで
次に共感――シンパシー――して人がなにを望んでいるのかを考えるらしい。ノリコさ
ん曰くやっていることは大分単純だそうだけど作業量が膨大なんだそうだ。
 人の真似をして共感してみせるがロボットは人の心をもっているわけではないらしい。
ロボットにはロボットの心。ロボットという種の世界があるのだそうだ。
 だから、ミミもこうして会話をしてみせるがそれは、人と会話する手段があるだけで
人と同じ思考回路を持っているわけじゃない。
「もっと人を知らないといけないですネ。それじゃ、そろそろメンテナンスを終了しま
す」
「う? あぁ、そうか。ここは『中』だったのか」
 そう自覚すると、平衡感覚が揺らぎ軽いめまいが起きる。


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