物語

とある街で4

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「おかえりなさいですねー!」
 ミミがエプロン姿で玄関にとことこ走ってくる。
「ただいま。……晩御飯作ってるの?」
 ミミの姿を見ると晩御飯を作っているように見える。が、なんだこの匂いは……。
「はいですね! あ、聞いてください、ネットって凄いんですね。料理のレシピもたっ
くさん載ってるんですね」
 俺はこの匂いに一抹の不安を覚えた。
 そして食事の時間になる。ミミが作った料理は案の定なんだかわけがわからないもの
へとなり、俺とノリコさんの前に並べられた。
「ミミー、あたらしいオーバーライセンスでも取得するつもりなのかしらー。化学兵器
の方では取るつもりないからねー」
 いやでも、機械が作ったという意味では研究対象になるのかしら……。などとノリコ
さんは呟いているがどうみてもただの失敗した料理です。
「ははは……。いやーレシピどおりに作ってもうまくいくものじゃないのですねー……」
「ネットに書いてある事が常にいいことや本当のことってわけじゃないからね……。で、
どうする、コレ」
「ミミの燃料にはなるんじゃないかしら?」
「あー……エネルギー変換効率がとっても悪そうですねー……」
 ミミはチラチラと俺を見てくる。仕方ない助け舟を出してやろう
「空気読まないでイヤならイヤと言っていいんだからね」
「イヤですね!」
「はいじゃあ今晩はごめんねインスタント!」
 ノリコさんはドンとテーブルにインスタントラーメンを三つ置く。
「いやー面目ないですねー……でもこれが以外と無駄なくエネルギーになるのですね
ー」
 ミミも手際よくポットのお湯を注ぎながらしみじみと語っている。
「まずい……開堂家がどんどんだらしなくなってしまう……」
 ロボットであるはずのミミが飯を作らなければ開堂家は三食ほぼインスタントとなっ
てしまう。ちなみにミミの充電は本体が週初めに一回。髪留めバッテリーは毎日。それ
以外は食事からエネルギーを得るらしいが食べるものによって得るエネルギー量が違う
らしい。
「最近のコンビニはすごいのよ。もうそこらの店なんかより全然おいしんだから!」
 うれしそうにコンビニの野菜やらなんやらのパックを開けるノリコさん。この人はも
う自分で飯を作る気はないのだろうか。
 俺はミミが失敗した料理に目を向ける。
――それに世の中うまくいかないことだらけですわ。
レイが世の中うまくいかないと言っていたことを思い出す。あの達観しているような表
情がとても儚かったのが俺の中のレイのイメージとあまりにもかけ離れてしまって脳裏
に焼きついて離れなかった。
――明日、レイともっと話をしてみよう。いやしなくちゃダメな気がする。
「どうしたんですね? もう三分経ってますね」
 ミミが突然不思議そうに顔を覗くから思わず顔を逸らしてしまった。
「あぁごめん」
「何か悩み事ですか?」
「ん、いや、この開堂家の現状をどうしたものかと。俺も料理係に参加した方がいいの
かなってね」
「そんなとんでもないですね! マドカは家の掃除に洗濯、お風呂掃除、所長とミミの
世話など色々もうやってますね」
「でも俺も料理できたほうがミミの負担も減ると思うんだけど」
「大丈夫ですね! 今日はちょっと失敗しちゃいましたけど。料理はミミに任せて欲し
いですね」
「んーまぁそこまで言うなら任せるけど。今度からは自分で作れそうなものを、な?」
「はいですね……」
 ミミはしょんぼりと麺をすすりながら失敗した料理へと目を向ける。
「大丈夫よ! なんでも失敗は当たり前。成功することのほうが稀なんだから。人生な
んでもトライ&エラーよ。もっと気楽に構えなさいな」
――あなたはもうちょっと真面目に家事のことを考えてはどうかと。
 と思ったけど口にはしなかった。残念ながらこの人には何を言っても無駄なのである。

「おはよ」
 登校しているとレイが歩いていたから声を掛けてみた。
「おはようございます」
「レイは今日の放課後ひま?」
「あら、いきなりですわね」
「うん、やっぱ記憶がないってのが気になってさ。レイって一度覚えたことはほとんど
忘れないんでしょ?」
「まぁそうですわね。生まれたときの原初の記憶から小学校に上がるまで、それと中学
から今までの記憶は明確に思い出すことが出来ますわ」
「なのに、小学生の時の記憶だけない、と」
「詳しくは放課後に話しましょ。わたくし待たせている人がいますのでお先に失礼しま
す」
 レイは小走りで走っていくと校門の前に待つ女子生徒と肩を並べて校舎に入っていく。
「やぁ開堂。今朝から仲良さそうじゃないか」
 さわやかボイスがしたから振り返ってみるとそこにはさわやかな笑顔をした雷門トオ
ルがいた。
「ヘイ、ライモン」
「……はァ? おめぇトオルと呼べやッ……!」
 さきほどのさわやかさから百八十度変わって喧嘩買いますという顔と低くドスのきい
た声で唸る。
「そろそろ生徒増えてくるからさわやかにしてないとまずいんじゃないか?」
「そうだね、けど開堂あまりそういう態度は良くないよ」
 すぐさまさわやかモードに切り替わる。そして意味ありげな発言をしだす。
「どういうこと?」
「昨日、鳳華殿に告白したそうだね」
「告白? …………あっ! あれはからかわれただけだよ」
「はぁ? バカかお前? そういう風にからかわれるということは脈アリなんだよ。お
前は知らないだろうが何人もの男子生徒が鳳華殿に声を掛けて何事もなくいなされたこ
とか。あァかわいそうだと思わないかァ?」
「出てる出てる、顔はさわやかだけど声が喧嘩モードになってるよ」
「開堂、君はこれ以上鳳華殿に近づかないほうが良い」
「なんでさ」
「『なんでもない開堂』が鳳華殿に好かれる訳ないからだよ。なのに『なんでもない開堂』
が鳳華殿に好かれてしまったら、見向きもされない連中は『なんでもない開堂』以下に
なってしまうだろう? そんなの自尊心が許さないさ」
「みんなそんなこと考えてるの?」
「考えてはいないさ。そんな醜い感情なんて意識でもしない限り沼の底の泥のように穏
やかなものさ。けど誰かが一言「嫉妬しているんだろう?」とでも一石投じれば泥は舞
い上がり沼の水を濁すだろうね」
「……トオル君の心は濁ってないよねぇ?」
 トオルは俺の肩をつかみ親指を立てさわやかに笑う。
 俺は安心しホッと息をつく。
 するとトオルはスイッチを切り替えるかのように親指を地面に向けて笑う。その笑み
は先ほどのものとは百八十度違う。
「俺はいつだって濁ってるぜェ……全てを飲み込むほどになァ……。さァて開堂君はこ
れ以上鳳華殿さんに近づくのかなァ? それとも男子連中にびびっておとなしくしてい
るのかなァ?」
「お前やっぱりイヤなやつだな……」
「違うよォ……。俺はお前のことを思ッッて忠告しているのさァ。けど選ぶのはお前だ
からなァ?」
「今話してる内容はトオルが勝手にそう思っているだけでしょ? そんな見苦しいこと
をする奴なんていないよ」
「おいおい? お前の頭はひよこちゃんなのかァ? どうしてお前が鳳華殿に告白した
なんて情報を持っていると思っている?」
 トオルはその表向きの顔のよさからいろんな生徒のリーダー的な存在なのだ。この裏
の顔も不良生徒たちからは頼れる兄貴的な存在になっているとの話しだし。この性格の
悪さはネット上にある学生裏サイトなどで誰かの悪口や弱みなどの情報を扱っている。
あらゆる場所から情報が入ってくるのである。
 つまりトオルはこう言いたいのだ。
――お前のことを嫉妬している奴がいる。それも多数。
――なにかしらの刺激があればお前はそいつらからなんらかのアクションを受ける。
――どっちに転んでも面白そうだからそういう状況だと教えてやる。
 そんな感じだろう。というかトオルもその一員に含まれているのだろうか。
「わかったわかった、気をつけるよ」
 といっても何を気をつければいいのか。こんなのことになっても俺はただレイから話
を聞くだけだ。別に付き合うとか、そういう話をしているわけじゃあない。何も周りの
奴らが気にするようなことは、ない。
「…………」
 教室に入るとなんだか周りの連中がよそよそしく感じるのは先ほどトオルから話しを
聞いたからなのか。
 だけどよくよく考えると俺は取り分け仲の良い奴がいるわけでもない。強いて言うな
らトオルだがあれはなんだか違う気がする。
 いつもどおり授業を受けて学校が終わる。
 さて、放課後だがどうしようか。昨日みたいにレイに普通に声を掛けたら、本当かど
うか疑わしいけど俺は何かしらの被害を被るらしい。
 教室を見回すとまだ生徒は何人もいる。今レイに声を掛けることは賢明じゃない。
「あれ? 開堂。帰る準備をしないのかい? それとも何かまだ用事があるのかな?」
 トオルがわざとらしく、さわやかに声をかけてくる。
「いやないよ。トオルはどうしたの? 俺に何か用?」
「何か用と言われるとそこまでじゃない、ただ一緒に帰らないか? と戯れに誘おうと
しただけだよ」
「あーごめん。今日は先約がいるんだ」
「はは、開堂はいつも一人で帰るか僕としか帰らないのに。その先約が誰なのか興味が
あるなぁ」
「気持ち悪いぞライモン。お前はホモなのか?」
「ははは、酷いな開堂ォ……。いつも名前で呼んでくれって言っているだろう?」
「お前が気持ち悪い質問をしてくるからたまには反撃しないとなって思って。今日は勘
弁してくれ。それと俺は今朝の話で昨日と今日を変えることはないと思う」
「今朝の話? なんか開堂もずいぶん気持ちの悪いことを言っているけど僕には心当た
りはないよ?」
「なら別になんでもない。じゃあな」
 俺は席を立ちレイのもとに向かう。
「レイ……今日はちょっとどっか別の場所にしよう」
「構いませんわ」
 レイは小首を傾げて返事をする。レイの前後の席の女子生徒たちは先ほどまでレイと
話していたが好奇心なのか黙りこくって僕のことをちらちら横目で見ている。
「じゃあ先、校門にいるから」
 周りの目はやっぱり気になる。例え僕の気のせいだとしてもかつての小学校の頃の状
況に重ねて見てしまう。
「俺は何も変わってないのかなぁ……」
 校門にもたれかかり空を仰ぐ。レイと話すと昔の自分に戻ってしまう。気が弱くて、
おどおどして自分の言いたいことをはっきり言えない。そんな僕に戻ってしまう。
「何黄昏ているんですの?」
「あ、ごめん……」
「別に謝られることはしていませんわ」
「あ、うん」
 レイは肩をすくめると歩き出す。
「それで、どこにいきますの?」
「えーっと決めてなかった。どこか生徒がいなくて落ち着ける場所……」
「ならついていらっしゃい」
 レイはさっさと歩き出す。僕はその背中に引っ張られるようについて歩く。
 ついたところはアンティークという言葉が似合いそうな雰囲気の店。外観が木製で内
装もほとんどが木製の喫茶店だった。
 店内は広くはなく席は十に満たない。店長らしい寡黙そうな初老の男と柔和な笑顔を
浮かべる同い年くらいのメイドさんの二人だけのようだ。
 レイは窓際の席に座る。それにならって僕もレイの向かいの席に座る。
「ここなら、まず学校の生徒はきませんわ」
 レイはそう言ってメイドさんから意匠の凝ったメニューを受け取る。僕も受け取りメ
ニューに目を通す。
「これは……確かに学生は来ないよ」
 ソフトドリンク、一品料理、軽食、メイン、どれも学生の財布には厳しいお値段にな
っている。ちなみに開堂家の晩飯(インスタント)三日分くらいだ。
「決まりましたか?」
 レイは決まったようでメニューを置いている。僕は慌てて一番安いであろうソフトド
リンクの欄に視線を走らせる。
 が、ソフトドリンクの欄もティーと書かれており聞いたことのない名前ばかりだ。オ
レンジジュースや炭酸飲料はないのだろうか。
「レイはここによく来るの?」
「えぇ、一人で落ち着きたいときや考え事をする時は大抵ここにおりますわ」
「じゃあ、こういうお店初心者の僕におすすめの飲み物を教えて欲しいんだけど」
 僕は手にあるメニューをレイに見せる。レイはメニューを覗き込んでくる。自然とレ
イの頭が顔の近くに来てなんだがいい匂いがしてくる。一体どんなシャンプーを使って
いるのか、世界が嫉妬するようなモノを使っているのだろうか。開堂家の家事をしてい
ると無駄にどんなものを使っているのか気になってしまう。ちなみに開堂家は特売品の
時を狙うため決まったもの使うことは少ない。開堂家は街のハイエナなのである。
 と、そんな説明はどうでも良く。今は何を頼むかを決めねばとメニューを覗き込む。
 すると、レイが顔を上げて至近距離で目が合う。
「どうしたんですの?」
「いや、何にしようかなーってなんかまかせっきりじゃ悪いでしょ?」
「無理しなくていいですわ。それでしたらダージリンかキーマン辺りにしてみては?」
「あぁ、なんかダージリンは名前聞いたことあるね。よしダージリンにしよう」
 レイがメイドさんを呼ぶとにこやかに注文を受け付けカウンターの奥に消えていく。
 飲み物一つ頼むだけでも一苦労だ。開堂家だとファミレスだし、行ったらドリンクバ
ー一択だ。そしてミミがなんか色々混ぜて化学兵器を作っていたのが記憶に新しい。最
近はノリコさんあんまりファミレスに連れて行ってくれなくなったな。多分ミミのせい
だ、
 はぁーと一つため息をつく。するとレイが
「今日はなんだか考え事をしているかボーっとしているか上の空かという感じですわ
ね」
「あれ、そう見える? そんなつもりはないんだけど」
「えぇ、今朝はわたくしのことを見ておりました時は迷いのない視線でしたわ、ですが
学校についてからは教室を見ていた、というよりぼんやり眺めておりましたし。先ほど
はメニューのこととは全然別のこと考えておりましたでしょ。目の焦点がメニューに合
っていませんでしたわ」
「よく見ておりますねぇ……」
「何事もまず観察ですわ。次に考察、そして推察……学校に登校中に何か悩み事でも抱
えたのではなくて?」
「相変わらずだね……すごいよ」
「何をおっしゃいますの? わたくしは天才的ですからこのくらいは朝飯前ですわ」
――あぁ、なんだろうこの安心する感じと……不安な感じは。
「なんだろうね、レイには何でも話したくなっちゃうよ」
「悩み事があるのなら相談なさい。――友達なんですから」
――友達だから。その響きに懐かしくなる。レイはなんとなく言ったのかもしれないけ
ど。僕にはどこか力の出る魔法の言葉に感じて仕方なかった。
「……うん、わかった。レイに聞いて欲しい話しがある。これは小学校の時の話でもあ
るから。それとその前に目先の悩みを話しておくよ」
 その時、メイドさんが紅茶の入ったカップを二つ。レイと僕の前に置く。
「ごゆっくり、どうぞ」
 メイドさんは一礼して再びカウンターの奥へと消えていく。
「まずは今朝の話。レイと分かれた後、雷門透って奴と話していたんだけどトオルのこ
とはわかる?」
「えぇ。第一印象は好青年かつしたたか、腹の底が知れない。そんな感じでしたわね」
「まぁそんな感じなんだけどね。簡単に言っちゃうけどレイとこれ以上接触するようだ
ったらクラスの男子連中からつまはじきにされるぞって言われたんだ」
「忠告してくれるなんて、雷門君とはとても仲が良いんですわね」
「おぉーっとここで注意して欲しいのが二つ。まずアイツはつまはじきにする側でわざ
わざ僕に言いに来たこと。それと雷門って呼ばれると怒るからトオルと呼んであげて。
それと仲は良くない」
「三つに増えていますわ。それにやっぱり仲の良い友達じゃないですの。ちゃんと彼の
嫌がることに気を配っておりますわ」
「あいつは怒ると面倒なんだよ。それに友達のような振る舞いをしたと思えば利用する
ような真似もするし」
「あら、人付き合いなんてそういうものじゃなくて? 時には笑いあい、時には傷つけ
あうもの。それでもなんだかんだ言って声を掛けたくなるものだと思いますわ」
「そういうものなのかなぁ。レイはどうしてそう思うの?」
「わたくしがそう思うからですわ。特にわたくしは研究三昧の毎日でしたから友達も少
なかったんです。空いた時間とか何を考えるかというと友達と何して遊ぼうかとかそう
いうことでしたわ」
「でも、僕は今そんな友達からつまはじきにされようとしているわけなんだよね」
「わたくしとこれ以上接触をすると……。つまり恋敵ということですわね。わたくし転
校三日目から大人気の引っ張りだこなんですわね」
「まぁそれで悩みってのがさ。僕小学校の頃からイジメられてさ。変わろうと思ったん
だけど、こうしてまたイジメられると考えると自分は何も変わってないなぁって思っち
ゃって」
「小学校の頃はどうしてイジメられていたんですの?」
「気弱で何を言われても言い返せない。そんなヤツだったから周りの連中は面白がるん
だ。今回だってそう。僕が弱いから周りの男子はこういうやり方をするんだ。もしトオ
ルだったらいじめられたりなんかはしないだろうし」
「ふふ、おかしな点がありますわよ。自分では気付いてらっしゃらないようですが、わ
かります?」
 レイは紅茶に口を運んで僕の言葉を待っている。
「……わからないよ」
「あなたは自らイジメられる道を選んでいるということですわ。気弱な男子でしたらそ
んなわざわざイジメられる道を選択しませんわ。あなたは、ここで今わたくしと話をし
ている時点で、以前のような言われるがままの気弱な男の子ではありませんことよ」
「……そう、なのかな?」
「えぇそうなんですわ。あなたは変わった。強い人になれたんですわ…………それに比
べてわたくしは……」
 レイはボソッと何かを口走るがそれを聞き取ることはできない。
「マドカ、昔の自分から変わることはうれしいことなのかしら? 良い事なのしかし
ら?」
 レイはうつむき、表情は先ほどと打って変わって暗くなる。
「何か悩みがあるなら相談してよ。友達なんだから、でしょ?」
「ありがとうございますわ」
 レイは無理やり作り笑いを浮かべて答える。
「わたくし、海外から帰ってきたといいましたけど、研究から外されてしまったんだで
す」
「レイが? どうして?」
「それは直接理由を言われていませんわ。ただわたくしはお父様に帰国するよう言われ
たんです」
「お父さんと一緒にその……オーバーライセンス関係の?」
 僕は声を潜める。オーバーライセンスを与えられている技術は一般人に知られてはい
けない。人は少ないとはいえ店員がいる。
「マドカ……! こんなところでその名を言ってはいけませんわ……!」
 レイは人さじ指を口にあて僕を咎める。
「というか、あなた何度かその名を口にしておりませんでしたか? どうして知ってらっしゃるの?」
「うちで持ってる技術があって。……あぁ僕は全然一般人だから詳しくはわからないけど」
 レイは小学校の記憶がない。だからオーバーライセンス持ちのミミの事も知らないの
だ。
「その名前は外では容易に口にしてはいけませんわ。もし関係者以外に知れてそれを国
が気付いたらその技術は半永久的に凍結命令を下されますわ。それにオーバーライセン
スの名前を知っている悪党もいるんですのよ」
「あ、悪党……?」
 非現実的な存在に思わず口にしてしまう。
「えぇ、わたくしと初めて会った時につきつけたモノを覚えてらっしゃいます? あれ
は護身用のモノですわ。いつ襲われても抵抗できるように」
「まさか、レイは誰かに狙われてるの?」
「そういうわけではありませんわ。単純に鳳華殿の名は有名ですし、オーバーライセン
スという方面でも狙われる可能性があるから持ち歩いているだけですわ。……それと個
人的な理由が少々……」
 レイはまたぶつぶつ何か言っているがすぐに咳払いをひとつして僕に向き直る。
「わたくしも、オーバーライセンスを取得した技術の研究をしていたんです。けど研究
途中で帰国するよう言われましたの。わたくしは成果を出せないと判断されたからだと
思いますの」
「僕はほとんど一般市民だから詳しくはわからないけどさ。レイって僕らと同い年なの
に研究に参加しているってことはとても頭が良いんでしょ? それにレイ一人成果が出
せないってどうしてわかるのさ?」
「わたくしがかつてのわたくしではなくなったからですわ。それは周りのスタッフ、お
父様、そしてわたくしも感じておりますの」
「ん、どういうこと?」
「わたくし小学生にあがる前から研究に参加していましたの」
「な、なんだってー……。そんな小さな頃から研究をされてたんですか」
「初めはお父様に褒められたくて色々なことをやってましたの。その色々の中でたまた
まお父様の研究の糸口になるものがあったらしくてそれでその時のお父様は本当に喜ん
でいたんですの」
「それで、レイのお父さんが一番喜ぶ研究をやり始めたんだね」
 レイは無言で頷く。そしてレイは話を続ける。
「ですが中学生になった頃、海外でやっとお父様と一緒に研究できるようになったのに
自分はかつての自分のようなひらめきも考察も推察もできなくなっていましたの。何も
かも劣っていて、まるで別人のように、記憶にある昔の自分と今の自分がまるで別人の
ように感じてしまうほど劣っていましたの。それを感じたのか、お父様もわたくしに研
究から一旦離れて帰国してみてはどうかって……」
 レイはため息をちいさくついて視線を僕から外す。
「それで、わたくしはついこないだ研究から外されましたの。鳳華殿怜として成果を出
せないのなら他のスタッフとなんら変わらない。むしろ鳳華殿の令嬢である自分は周り
のスタッフに気を遣わせる。みなさんを引っ張っていくはずのわたくしが足を引っ張る
ことしかできないんですの……。笑えない話ですわ」
 自嘲気味な笑みを浮かべるレイだが僕は今の話に引っかかるモノを感じた。
「レイ、もしかしたら君が変わってしまったという話。何か理由があるかもしれない」
「……そう思う根拠は何ですの?」
 レイから笑みは消え何かを期待するような、それでいて真剣な眼差しを僕に向ける。
 僕は次の言葉を言うべきか一瞬迷う。だけど僕は知っている。日の目を見ていないま
だ未知の技術があることを。もしかしらその未知の領域に人を生き返らせる技術がある
のかもしれない。
「レイ……君は小学生の時に、死んでいるんだ。文字通りに」
 レイの目が一瞬見開き、すぐに目を細め視線を落とす。両手は落ち着く場所を探すよ
うに口もとに置かれたり両腕を組んでみたり落ち着きなく何度か動く。しかしレイの表
情は波一つたたない水面のように落ち着いている。
「マドカ、その話し……そうですわね、どういう風にわたくしが死んだかわかります
の?」
「レイは僕を庇ってゴミ山の下敷きになったんだ。お腹から下はゴミ山に潰されてたと
思う」
 そういうとレイは制服の上着を脱ぎだしワイシャツのボタンに手を掛ける。
「ちょ、ちょっとレイ?!」
「マドカ背中を見てもらえます? 何か傷跡や変色している部分はありませんこと?」
 レイはワイシャツを脱ぎ捨て背中を僕に向ける。見ろと言われて僕はレイの背中、首筋から順に見ていく。
透き通るような傷一つない白い肌。そんな肌を映えさえる白と薄いピンクの装飾があし
らわれた下着。女性的なくびれたライン、それでいてそれを損なわない健康的な肉付き
の良い腰回り。スカートの上からでもわかるボディラインとのギャップのある丸みのあ
るお尻。
「すごい……」
 僕は思わず感嘆の声を漏らす。すると。
「! 何かありましたの……?!」
 レイは振り返り真剣な眼差しで僕を見る。僕はレイと目が合うがそれ以上に目を惹く
部分に視線が行ってしまう。
「うっわ正面もすごい……ミミの寸胴ボディとは大違いだ。一体何を食べタワバッ!?」
――脳天チョップが頭に響く……。
「あなたはどこを見ているんですの?! 早く背中に変な部分がないか確認なさい……!」
「ないです。異常なしでございます……」
「全く、何を真剣な表情で見ているかと思ったら……」
 レイは文句をたれながら制服を着直す。
「体に治療の痕がないとなると本当にわたくしは死んだということなのかしら。でもこ
こにあるわたくしの肉体と意識はどうやって蘇生させたんですの……?」
「そこはオーバーライセンスじゃないの?」
「だとしたらわたくしの家に記録があるはずですわ。けどわたくしはその記録を見たこ
とありませんわ」
「死んだことを隠しているとか。自分が死んでいたなんて気付いたらショックだし。レ
イなんて隠しておいてもすぐに見つけちゃうから本格的に隠しているんじゃないかな」
「私でも見つけられない場所……お父様の寝室や書斎ですわね。しかも海外にいるから
どうしようもありませんわ……」
「でも、もしレイがオーバーライセンス持ちならメンテとか必要なんじゃないの? う
ちがそうだけどメンテが必要なら近くで記録をとらないといけないわけだし。近くの誰
かが記録を持っているんじゃないかな」
「わたくしと一緒に帰国した者……。そこまで絞れればあとはしらみつぶしで当たりに
つくと思いますわ。それとひとつ気になることがあるのですがミミというのどちらさま
なのです?」
「あぁミミはうちで一緒に生活している家族だよ」
 そう言った時レイは「はぁー」とため息をつく。
「そのミミって子。オーバーライセンス持ちですわね」
「え、どうしてわかったの?!」
 レイはさらに深いため息をつき。
「カマかけただけですわ。それに家族のことを家族とは紹介しませんわ。普通親だった
ら父親、母親。兄弟だったら兄、姉、弟、妹ですわ。家族ですと紹介した時点で訳アリ
感たっぷりですわ。――で、先ほど寸胴ボディとおっしゃっていましたけどどうしてそ
んなことをご存知ですの?」
 レイはなんだか語気強めで迫ってくる。
「いや、あまりそこらへんを追及されるとぉ……あ、そうだ。そんなに気になるならミ
ミに会わない? むしろ会ってほしいんだけどっ」
 レイは納得してないような表情を向けてくる。
「いいんですの? オーバーライセンスは社外秘の塊なんですのよ。外に出すことすら
好ましくないものもありますのよ?」
「そ、そうなの……? ミミにいつも買い物とか行かせてるんだけど……」
「はぁ……。なんだか色々と気になってきてしまいましたわ。いいですわ行きましょ」
 僕らはメイドさんの笑顔に見送られて開堂家に向かった。
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