物語

しんだあのコとかためのこのコ1

前のページに戻る/ 次のページに進む/ もくじに戻る/
 わたくしは、クローン。
 それを知ったのはつい先日。マドカと折戸が興奮気味に話し合っているのが聞こえて
しまい階段の陰から聞いてしまった。
「――ファントム。その名を知っているかその親戚の方に聞いてみるといいでしょう」
 折戸はマドカに他の人には聞こえないようにそう言った。けどわたくしには聞こえて
しまう。
 文字通り常人を遥かに上回ったスペックを持つわたくしには聞こえてしまう。わたく
しは生まれたときからこうだった。その研ぎ澄まされた五感は人のものさしでは量りき
れないものであった。そしてわたくしには人にはない能力がある。息遣い、汗の匂い、
挙動、空気の味、それらを事細かに感じ、わたくしは人が何を考えているかが大方見当
がついてしまう、思(し)線(せん)を感じることが出来る。
 人の思線を意識してからは世の中には知りたいことよりも知りたくない事の方が多か
ったことを知った。
 わたくしは今、学校の屋上で一限から授業をサボっている。学校に来てみたがとても
授業を受ける気にはなれなかった。
 人の多いところは正直苦手。人の思線を感じすぎてしまい考え事ができなくなる。目
を瞑っていても視線以外でも思線を感じることは出来る。普段はそれでいいけど今は本
当に頭に何も入れたくなかった。
 青く染める太陽光も、空気を揺らす振動音、人の匂い、皮膚を伝う感触、街の味。何
も感じたくなかった。だから屋上の隅で、金網を背もたれにして、目を瞑り頭を空っぽ
にしていた。
 今は誰もわたくしのことを見ていないわたくしじゃなくていい時間。
 と、思っていたら誰かがこの屋上にやってきた。聞いたことのない足音、わたくしは
すぐに起き上がり制服についた汚れをはたきおとし、乱れた髪を手ぐしで軽く整える。
 ガチャっと屋上の扉が開かれる。するとひょこっと顔だけを覗かせているのはマドカ
の家にいたミミさんだった。
「ミミさん? どうしてここにいらっしゃるのかしら?」
 わたくしがそう声を掛けるとミミさんは咄嗟に扉の陰に身を潜める。
「ミミさん、マドカの御友人のレイですわ」
 そう告げるとミミさんは陰から顔だけ覗かせてわたくしと目が合う。
「よかった、鳳華殿さんですネ」
 ミミさんはこちらに駆け寄ってくるがなぜか学校の制服を着ている。
「こんなところで何をしてらっしゃるの? ミミさんはこの学校の生徒じゃないのでし
ょう?」
「違いますネ。けど今度ここに通えるように所長に頼みますネ! だからここに来たの
は予習なんですネ」
 申し訳なさそうに答える。何か怒られると考えているのだろうか。
「勉強熱心ですわね。けど学校に部外者が入っていることがばれると大変ですわよ?」
「大丈夫ですネ。そのための制服です。普通に校門から入りましたけど誰も気付かなか
ったですネ!」
 ミミさんは制服をパタパタさせながらうれしそうに笑っている。ミミさんの着ている
制服はしわがなく新調したばかりの制服に見える。しかし匂いはすでに生活に馴染んだ
匂いであった。買ってはいたが使う機会がなくクローゼットに眠っていたのだと推測で
きる。
「案外ばれないものなんですのね。それで予習はまだあるんですの?」
「いえ、一階から見つからないように見てここが最後ですネ。そういえば今は授業中で
すネ。鳳華殿さんはどうしてここにいるんですか?」
「わたくしはサボりですわ」
「むー不良ってやつですネっ。悪い子です!」
 ミミさんは頬を膨らまし眉をひそめてわたくしを睨む。だけどその目は笑っている。
こらえ切れなくなったのか、ミミさんは弾けるように笑顔になるとトンとわたくしのと
なりに座り金網の向こうの校庭を楽しそうに眺める。校庭では生徒達が体育の授業を受
けている。
「ミミと一緒ですっ」
「え……?」
 ミミさんと一緒。いや……ミミさんは不良という意味で言っただけなのだ。わたくし
が想像したものではないはず……。
「あ、わかっちゃいましたネ。鳳華殿さんがサボっているのは悩み事があるんですネ?」
「……どうして、そう思いましたの?」
 ミミさんからは思線を感じない。人間の思線は数多に感じてきたがそれ以外の存在か
らは思線を感じることはできなかった。だがミミさんはわたくしが悩んでいることを当
てた。何かこのコにも敏感に感じるものがあるのだろうか。
「よく、私が悩んでいるとわかりましたわね」
「マドカも所長も何か悩んでいるとミミが話しかけてもあんまり相手してくれないんで
す。鳳華殿さんからも同じようなモノが窺えますネ」
「わたくしが、何を悩んでいるか、わかるのかしら?」
「んー、んーっ、んー……。さすがにそこまではわかりませんネ」
 ミミさんはじっと見つめて、力んでみたり、力を抜いてみたりするがさすがにそこま
ではわからないようだ。どうやら経験則と観察眼で至った推論というだけだった。
「でも悩んでいるなら教えてくださいネ。相談にのりますネ」
「相談? ミミさんが、かしら?」
「そうですネ。マドカがさっき言ってましたネ。ミミは一人で悩んでいてもろくなこと
にならないから相談しろって」
 デリカシーがないというか、考えが足りないというか。マドカらしいといえばマドカ
らしい。わたくしは正直彼を気に入っている。抽象的とも具体的ともいえる言い方をす
るなら彼の思線と相性がいいのだ。彼の動きをシミュレーションすると思わずため息交
じりに笑みがこぼれてしまう。
「全くマドカはもっと相手に誤解させない言い方というものを考えた方がいいと思いま
すわ」
「そうですよネ。もっとミミを大事にして欲しいですネ」
 ミミさんに対する言い方もミミさんだからこその言い方なのだろう。しかし言い方は
酷いけどマドカの言うことには一理ある。一人で思考すると安心を求めるがために最低
を想像する。その最低から影響の出る最低を想像し悪循環を生む。だからここはミミさ
んに。
 いやミミさんだからこそ聞いてもらう意味がある。オーバーライセンス持ちとして
「あの……、少しわたくしの悩みをミミさんに相談してもよろしいかしら?」
「なんですネ? なんでも話してくださいネっ……」
 ミミさんは真剣な面持ちになりずいっと顔を近づけてくる。きっと他人に聞かれたく
ないという配慮なのだろうけど、生憎ここには思線は一つも感じない。
「わたくし実はクローンですの。ミミさんと同じようにオーバーライセンス持ちなんで
すのよ」
「鳳華殿さんがミミと同じ?! あのっ、あのっ、それは、何と言いますかっ……」
「まだ気を遣ってもらうようなことは何も言っておりませんわ。そうですわね。一言二
言説明をした方が良さそうですわね」
 一度座り直し目を瞑る、小さく深呼吸するように空を仰ぐ。感じるのは街と屋上とミ
ミさん。わたくしはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ここに転校して来るまでわたくしは人間だと思っていたんですの。そしたらマドカに
会って過去に死んでいることを告げられたのですわ。それでわたくしは何かしらの技術
で蘇生をしたのかと思っていましたの。そしたら昨日、偶然にも見つけてしまったので
す。わたくしがどうやって鳳華殿怜となっているのかを」
「死ぬ前の鳳華殿さんのデータから出来たクローン個体ということですネ」
 ミミさんは神妙な面持ちで静かに答える。
「そうですわ。わたくしは鳳華殿怜であって鳳華殿怜ではないんですの」
「でも、記憶はどうなんですネ?」
「記憶はありますわ。死ぬ以前の記憶。クローン体として生まれて外界を認識できるよ
うになったのは中学一年からですわね。こうして意識してみると非常に気持ち悪いです
わ……。小学校以前の記憶があるのに、中学一年の記憶が原初の記憶のような立ち振る
舞いをしているのですの」
 わたくしは目を開ける。何か他の情報で埋め尽くさないと感情が不安定になっていく。
なるほど、わたくしがクローンであることを教えないわけですわ。考えれば考えるほど
問題点が浮かんでくる。
「鳳華殿さんっ? 大丈夫ですか? 顔色が良くないですネ」
 ミミさんに言われて思考の泥沼から抜けだす。膝に置いてある両手を見るとわたくし
はいつの間にかミミさんの手を強く握っていた。
 不安の表れ……。わたくしが今後抱き続けるクローンである不安、問題。それらに対
する解。最悪の解。そういったものが頭の中を無情に埋め尽くされていく。
「はぁ……ダメですわ。すぐに思考してしまうというのも考え物ですわ……」
「鳳華殿さん、さっきから顔が怖いですネ。まるでサスペンスドラマの犯人ですネ」
「そうですの……?」
 わたくしはミミさんの紡いだサスペンスという言葉から浮かび上がってきた言葉を
拾い上げる。そして先ほどの考えを投げ捨てるように立ち上がりミミさんに向き直る。
「なら、ミミさんは刑事ですっ」
 ハチャメチャでいい。今は何も考えたくないっ。ミミさんの座っている横で金網に背
中を預ける。
「わたくしは悩みを抱えて自殺を図っています。ミミさんはわたくしをどう説得しま
す?」
 不敵な笑みを作ってミミさんを見つめる。ミミさんはぽかんとしている。
 我ながらわけのわからないことをしている。論理的でも合理的でもない。いや違う。
わたくしは安心を求めている。嘘でも安くてもいい、何かすがれるような音を耳に入れ
たい。だからこんなことをやり始めたのだ。
「動くないでくださいですネ……」
 少ししてミミさんはゆっくりと立ち上がる。刑事のつもりなのか低いトーンでわたく
しに告げる。そしてミミさんはゆっくりと口を開く。
 さぁ聞かせてください。空虚な安息を……。
「……サイコダイブを試みます……」
 ミミさんはそう呟いた。
 と、その時
 ミミさんはわたくしの頭に手を回す。
 お互いの息が顔に掛かるくらい近づく。
 わたくしは目を見開き目の前の深いブルーを見つめる。
 気恥ずかしさも疑問も思考も感情も全てが深青色の球体に吸い込まれていく。
 ただただその青に吸い込まれていく。
「………………」
「………………」
 どれくらい見つめ合っていたのだろうか。まるで人形が向かい合っているように。た
だ見つめ合っていた。
 そしてそんな時間に終わりが来る。先ほどまで流していた水の勾配が急に変わり全て
こっちに勢いよく流れてくるような。
「あっ……」
 意識が戻った。足に信号がいかず崩れるように地面に座る。
「大丈夫ですか」
 ミミさんに肩をそっと支えられて何とか座った状態を維持する。
「な、何をなさったんですか……?」
 わたくしは頭を抑えながらミミさんに尋ねる。
「すみません。鳳華殿さんが思っていたより深刻に悩んでいたのでちょっと覗かせもら
いましたネ」
「覗いた? まさかわたくしの頭の中をですの?」
「はいですネ」
 ミミさんはそう答えるとわたくしを胸に顔をうずくませるように抱きしめる。
「鳳華殿さんは、ミミと一緒ですネ。オーバーライセンス持ちで、いわゆる研究対象で
すね。でも周りの人たちは研究対象としてじゃなくて家族や友達として接してくれます
ネ。何も恐がる必要ないんですネ。けど、それでも、どこか自分は研究に必要なくなっ
たら、いらなくなってしまうんじゃないかと思ってしまうんですよネ。これはマドカや
所長たちにはわからないことですネ」
 ミミさんはゆっくりと子供をなだめるように言葉を紡ぐ。
「……ミミさんはそこまで読み取れるんですのね」
「それだけじゃないですネ。ミミもそう思ったことがあるから鳳華殿さんの気持ちがわ
かるんですネ。ミミが読み取れるのはミミにもわかることだけですネ」
 そう言ってミミさんはもう一度ギュッとわたくしを抱きしめる。ミミさんの言葉が、
声が、匂いが、感触が、わたくしの中に満たされていくの感じた。形容し難いその感覚。
透き通った水で満たされるような気持ち、とでも形容するのだろうか。とにかくこの時
わたくしの中に不安はなくなっていた。
 体はすぐに元通り動くようになった。わたくしとミミさんはまた屋上の端に腰掛ける。
「ミミも必要なくなったんじゃないかって不安に駆られてマドカを試すようなことをし
ちゃったんですネ」
 ミミさんは遠くを見ながら恥ずかしそうに口にする。
「そんなことがあったんですわね」
「今朝の話ですネ。一日でも遅れていたら鳳華殿さんを説得できなかったですネ……危
なかったですネ」
「随分とタイミング良かったんですわね……」
「それで、マドカは言ってくれましたネ。いるいらないの話じゃないって。今日会いた
くないからって明日会いたくない訳じゃないっていってましたネ」
「やっぱり乱暴な言い方ですわね。ミミさんはそれで納得しましたの?」
「わかりませんネ。ただいらないってことじゃないことがわかりましたネ。言葉の意味
はこれから考えますネ」
「いらないってことはない、ですか……。わたくしはどこかでその言葉を求めているけ
ど、受け入れきれないんですのね」
「んーどういうことですネ?」
「受け入れると言うことを信じきれないんですの……。ただわたくしが臆病なだけなん
ですわ。情けない話しですけど」
「ミミも一緒です。これから信じられるようになっていけばいいんですネ」
「そうですわね。わたくしも今日帰ったらちゃんと家のものと話してみますわ」
 そう言うとミミさんがにこっと笑う。
「やっと元気が出たみたいですネ。これで授業をサボる悪い子はいなくなりましたネっ」
 そう言われて気付く。わたくしはいつのまにか笑っていたことに。
 話しに区切りがついた頃、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。
前のページに戻る/ 次のページに進む/ もくじに戻る/
inserted by FC2 system