赤目の林道先生

1日目1

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 チャイムが鳴った。ボクは職員室のドアを開け、生徒の声と足音で騒然とした廊下を歩
く。向かう先はボクが担任のクラス。
 二年D組、通称Z組。あらゆる問題児を集めたクラス。問題児の「問題」もピンからキ
リまで色々だ。成績優秀だが斜めに構え大人に反発する生徒、見た目から不良な生徒、一
見普通そうに見えてねじが一本外れている生徒、イジメられて心を閉ざしている生徒、登
校拒否している生徒と色々だ。そんな問題児ばかりのクラスを担任することになり一ヶ月
が過ぎた。一ヶ月過ごして分かったことがある。それは問題児ばかりと言ってもテレビで
見るような教室の風景はないということだ。スラム街のようにゴミが散らかり、黒板には
稚拙な落書きはなく、教卓の椅子にアイスやガムが装飾されているとかはない。むしろパ
ッと見何の変哲もないクラスだった。普通に授業し普通にホームルームをして解散。普通
だった。まぁ授業中に週刊雑誌を誇らしげに読んでいる生徒はいたがそんなの「問題」の
うちにならない。出席簿でポンと叩けば不服そうな顔をされるが、とりあえずはしまう。
そしてボクは平和なクラスだと思っていた。
 しかし、それはボクの間違えだった。彼らは分からない様にボクの出席簿や教室の机に
細工をしていた。まず出席簿。いつ摩り替えたのか、生徒が一人いなくなっていた。そし
てそれにあわせて机も減らし、出席を取られず欠席もとられずにいた。というか、それは
もう学校の生徒なのかも怪しい。ボクが気づいたのを生徒も察知していた。次の日、出席
簿は普通の出席簿に戻っており、今まで来ていなかった生徒は無遅刻無欠席になっていた。
「恐るべし、Z組…」
 そう漏らすと他の先生は苦笑いを浮かべる。自分が担任にならなくて良かったと。まぁ
ボクもなりたいとは思わないだろう。だがボクはこのクラスの担任を自ら志願した。
 ボクは、元々この学校の卒業生だった。ボクが生徒だった頃はこの学校にZ組なんてい
う風潮はなかった。ボクが考えるにそれは福沢君江先生がいたからだ。先生は学校の生徒
からあらゆる悩みを聞いていた。それは小さい悩みから大きな問題まで先生は親身になっ
て聞いていた。ボクも先生に悩みを聞いてもらったうちの一人だ。
 ボクは教師になってこの学校に帰ってきた。しかし、先生の悩み相談はなくなっていた。
そしてこの学校の風紀は荒れてZ組なんていうものが出来ていた。別にZ組の存在を否定
するつもりはない。逆に問題児ですと分かりやすく言ってくれているのはボクとしてはう
れしい。だが、問題児であることは決して誰にも良くない。周りにも迷惑が掛かるし、生
徒自身にも良くないだろう。先生がいない、この学校でボクは問題児たちの「問題」を聞
いてあげたかった。そして悩みがあるならそれを取り除いてあげようと意気込んでいた、
がそうは言っても相手は思春期真っ只中。突っ張ることが俺らの勲章とでも言いたげに反
発、反発、反発。スーパーボールのように反発。痛くはないがなんだろう、一言で言うな
らクソ餓鬼だと思った。しかし、その中にも手を差し伸べて欲しいという生徒がいた。今
は立ち直り悩み相談の助手をしてくれている生徒がいる。男の子が頭井健太郎、ボクはケ
ン君と呼んでいる。女の子が足立真帆、ボクはマホちゃんと呼んでいる。
 二人は元々、元気で活発な生徒だ。だが一年の頃引きこもってしまった。そしてこの春
休みにボクが学校に復帰させた生徒だ。二人は引きこもっていたため、Z組になってしま
っているが問題児ではないと思う。多分。
 二ヶ月経ってそろそろ生徒の悩み相談を受けてもいい頃だ。しかし、相手は問題児。悩
み相談ある人この指とーまれーっと言ったところでケン君やマホちゃんに馬鹿にされるだ
けだろう。だからボクはいつもこの「力」を使う。福沢先生があらゆる悩みを解決してき
た不思議な力だ。そしてその「力」はたまに感染してしまうらしく、ボクの悩み相談が終
わったときその感染の兆候が現れた。まず、目が赤くなる。そして不思議な力が効きづら
くなる。「力」を持っている人同士だと「力」が効きづらくより大きな「力」を被せないと
効果がない。ちなみになぜ効きづらいかは知らない。以上。
 さて、この「力」を使って生徒を空き教室に呼んで相談を受けさせよう。
「誰を呼ぶ?」
「俺は誰でもいいっすよー」
「あたしはー…んー誰が良いかなぁ…」
 昼休み、二階の物置廊下の一番奥の空き教室で二人の助手に聞く。ケン君は最初っから
思考放棄。彼は頭を使うのが苦手だそうだ。マホちゃんはなんかにやけている。何を考え
ているのやら。
「あの子がいいんじゃないでしょうか! ほら、あのちっちゃい子。亜久愛美ちゃん!」
 数秒してマホちゃんが手をあげ元気よく答える。
「ちなみに理由は?」
「ちっちゃくて、お腹とか二の腕とかほっぺとかぷにぷにしてそうだからです!」
 誰を選んだかについては別に突っ込まない。なぜなら、みんな問題児だから順番なんて
あまり意味がないからだ。でも、その選び方はやはりZ組である。
「恐るべし、Z組…」
 昼休みの終了をチャイムが告げる。ボクは職員室に戻り二人は教室に戻る。そして午後
の授業が終わり、ホームルームになる。特に問題は起きてない…はず、多分。はい、解散。
 ホールムールが終わると生徒は水に浮かぶクラゲのように帰る。しかしZ組は違う。ボ
クが教室から出るまでなぜか、誰も出て行かない。不思議。ちなみに、ケン君とマホちゃ
んはみんなに合わせて出て行かないだけでボクの事を見て楽しんでいるらしい。ボクはと
っとと教室から出て、職員室で待機する。みんながいなくなってから、亜久愛美に相談を
受けさせるべく空き教室に連れて行かなくてはいけない。
 そんなことを考えていると、ケータイにメールが入る。
―――今マナがくしゃみしてました! 小さくくしゅんって! あぁ涎でそうです…!
「恐るべし、Z組…というかマホちゃん何やってんだろうか…」
―――そろそろ、Z組行っても大丈夫?
―――はい! というか今あたしが空き教室に連れて行っていますので、空き教室で!
 ボクの「力」を使わなくても事が済んでしまった。その方がいいのかもしれないけど、
ようし「力」つかうぞーって「」つけて意気込んでいるところを普通に解決されるとなん
か恥ずかしい。
 ボクはケータイを閉じて職員室から出る。一階職員室を出てすぐ左手に階段とグラウン
ドにつながる出口がある。階段を上り二階の物置や空き教室のある廊下に向かう。反対側
の廊下には一年生のクラスがある。この頃はまだ、Z指定かどうかわからないため、Aか
らD組はごちゃまぜである。二年に上がった時にD組の場合、問題児の烙印を押される。
 空き教室に着くと中から声が聞こえる。
「あぁ…柔らかい…どうしてこんなに柔らかいの…」
「おいおい、その辺でやめとけって…こいつさっきからおめぇのこと無視してっけど、嫌
がってんじゃねぇーか…?」
「あぁ、そのむくれたほっぺも柔らかい…ケンも触る?」
「いや、俺はいいよ…」
「触りたいって言ってもこれは譲れないけどねぇ…」
 中からそんなやりとりが聞こえる。ボクはいつも通り普通を装ってドアを開ける。
「マホちゃん、ごくろうさまです。悪いね、連れてきてもらって」
「いえいえ、むしろご褒美でした」
 そう言って亜久愛美のほっぺを突っついている。ケン君の言っている通り、これは嫌が
っているように見える…のかな? 待っていた二人はボクを見てマナちゃんから少し離れ
る。ボクは亜久愛美を見る。
 亜久愛美。身長は百五十あるかないかの小柄な生徒だ。いつもボーっと天井か窓の外か
校訓を眺めている。授業中も聞いているかどうかも分からない。休み時間も一人席からず
っと立ち上がらず人形みたいに動かない印象の女の子だ。
「亜久愛美ちゃん、よしマホちゃんに倣ってマナちゃんとでも呼んでおこうか」
 人形のように椅子に座ったまま動かない。それは本当に人形のようだ。なぜにこんな印
象を与えるものになっているのか、過去を調べる必要がある。そこにこの子を形成した原
因がある。ボクは、マナちゃんの向かいに椅子を置き、座ってボーっと遠くを見ているマ
ナちゃんの目を見つめる。ボクはこの「力」を使ってこの子の心の中を「覗く」
 目を瞑る、深呼吸、目が熱くなるのを感じる。目をゆっくり開ける。マナちゃんの目に
映るボクの目が徐々に赤くなる。ボクはじっとマナちゃんの目を覗く。マナちゃんは黙り
っぱなしで何も語らない。
「マナちゃん、君の抱える「問題」を解いてあげよう。そのためには君から「問題」を出
だしてもらわなければいけない。君の抱える「問題」ってのを教えてよ」
 マナちゃんはぎこちなく口を開く。
「……、………」
 ん? 何を言っているのか聞こえない。エサを求める金魚のように口を動かしているだ
けだっだ。どうやら声を出せないらしい。これがマナちゃんが抱える「問題」なのか。も
う少し調べなくてはいけない。
「ん、喉が渇いてきた。ごめん、ケン君。冷蔵庫からジュースとってくれ」
 ケン君は部屋の隅に置いてあるボクが自腹で買った冷蔵庫から一本缶ジュースを取り出
す。ボクは視線をマナちゃんに向けたまま手を伸ばし缶ジュースを受け取る。
「マナちゃん、君は喉をやられてしゃべれないの? もしそうなら病院に行く事をお勧め
しよう。もし精神的にしゃべれないのなら、ボクが治してあげよう」
 何の反応もない。なんだか、本当に人形に話しかけているみたいで調子狂うなぁ…。一
度顔を下げて手元で缶ジュースを転がす。顔を上げてもう一度応えさせる。
「喉をやられているのかい?」
「……、………」
 相変わらず金魚のようだ。ぎこちなくゆっくりと首を振って違うと意思表示する。これ
で喉がやられていたら早くもボクの出番は終了だっただろう。そしてマナちゃんの「問題」
が少し見えた気がした。マナちゃんは話さないのではなく、話せないのだろうか。これが
「問題」なのかもしれない。
「じゃあちょっと失礼するよ」
 椅子を引いてマナちゃんの脚と脚の間にボクの脚が入るくらいまで距離を詰める。そし
てマナちゃんの肩を掴み顔を近づける。互いに呼吸するだけで息が拭きかかる距離まで顔
を近づける。マナちゃんはなんの反応も示さない。何も示さないマナちゃんの目を見つめ
る。後ろでマホちゃんが何か言っているが今は聞かない。ケン君しっかり抑えていてくれ
よ。ボクは黒い目を見る。動揺しているのかかすかに目は動く。ボクは見つめ続ける。
 目を、目の奥を、目の奥の先を、目の奥の先の向こうを、目の奥の先の向こうの中を。
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