赤目の林道先生

1日目2

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 真っ暗な、目を閉じているかのような暗闇が見える。そこでボクは目を閉じる。別に閉
じても見えるものは変わらない。ただ、ボクが集中できるからするだけだ。
 蝋燭に灯がともるようにボクの目の前に光が沸き出る。そしてその光は何も見えない空
間を照らす。すると見えないものが見えてくる。
 壁はない。でも壁紙はある。浮いているといっても違和感のないその壁紙には小さな女
の子と少し大きな男の子と両親らしい大人が家の中で食卓を囲っている光景が写っている。
壁紙の横に視線を移すと、ドアがある。ドアはくぐるためにある。裏に回ってもそこにド
アの裏側があるだけで何もおかしなところはない。ボクはドアを開ける。ドアの先には誰
かの家の中。これはリビングだろうか。台所に食卓。そして四人席にそこから見えるテレ
ビ。窓の外には壁紙が見える。窓に近づき外を見る。小さな女の子と男の子がランドセル
をしょって歩いている。小学校の通学路なのかな。ボクは窓を開け、手を掛けて窓の外に
出る。
 すると、学校の廊下のタイルに革靴が小気味良い音をたてる。窓を越えた先は学校の廊
下。教室側の壁紙は何の変哲もない壁紙だ。書写の授業中に書いたであろう漢字二文字。
向こうの教室には屋外写生で描いた公園の風景。ここは小学校の廊下なのだろう。ボクは
小学校の小さな廊下を歩く。聞こえるのはボクの安い革靴の音だけ。すると六年一組の教
室の中にはまた違う光景が広がっていた。それは女の子が制服姿で誰かを探している光景。
 六年一組のドアを引いて開けると、そこは学校の校門の中だった。校舎に掛けてある時
計は十二時を指している。そして校舎の入り口には入学式という看板や紙花の飾りに囲ま
れた「中学入学おめでとう」の文字が見える。今度は中学の入学式らしい。校舎の中に入
る。相変わらず誰もいない。先ほどの小学校の廊下から見えた光景ではここの中学に入学
したての女の子が何か探していた。
「もしかしたら、ここから「問題」なのかな…」
 さっきの六年一組の中に見えた光景を思い出す。入学式で午前中に学校が終わり新一年
生が蟻んこのように廊下に出ていた。そして女の子だけはなくしたものを探すように一人
走り出していた。
「ここなのかなぁ…一応見ておかないと」
 目を瞑る。意味はないけどボクが集中できるからだ。福沢先生は一瞬で出来ると自慢し
ていたなぁ。っと集中しないと。
 深呼吸をし目を閉じなおす。
「……、……………………」
 目を開けると時間の流れを感じる。先ほどまで誰もいなかった校舎と校門前に生徒の声
と足音が溢れる。
「さて、一年生は何階だろうか…」
 校舎の中に入る。一年生の階は二階。高校と一緒だ。そして誰もボクのことには気付か
ない。ボクが声をかけなければ気付かない。それは元々ボクはここにいない存在だから。
というかここはマナちゃんの記憶と夢の世界。その記憶をボクが繋ぎ合わせて夢を見させ
る。それがこの「力」の応用。なんでこんなことが出来るのかは知らない、以上。
 二階に着くと、すぐに気付く。右往左往している小さな生徒がいる。あぁでも身長は伸
びたんだなぁ。ただ元々が小さすぎたんだろう。
「君、亜久愛美ちゃん?」
 驚き飛び上がるという言葉を体現し、その小さな生徒は恐る恐る振り向く。
「あ…あっ…あぁ…」
 何もしていないのにすでに泣きそうな目でこちらを見る。あまり刺激はしたくない。さ
っきみたいに何もない状態にしておくのは長時間、世界を維持していられるけど、今見た
く時間の動きを加えると、あまり長くは維持できない。まずはマナちゃんが何をしようと
していたかを応えさせる。
「君は、ここで何をしているんだい?」
「マ…マナは、お兄ちゃんを、探してるの」
 金魚のように口をパクパクさせるのは癖なのかな。マナちゃんは極度の人見知りで他人
との会話をしたことがないのだろう。話し方や目の動きを見れば「力」を使わなくても分
かる。これはボクの力不足でマナちゃんの心の中を引きだし切れていないものかもしれな
い。福沢先生は生徒の心を開くのが得意だったなぁ。ボクはぱっと見、不気味な印象があ
るって言われてたからか、マナちゃんに警戒されているのかもしれない。ならその警戒、
心の距離を詰めなくてはいけない。ボクがマナちゃんの敵ではなく、協力者であることを
示さなくてはいけない。なら、まずはその「お兄ちゃん」を探そうか。
「お兄ちゃんは何年生なのかな?」
「あっ…え、えと…えと…」
 どうやら、頭が真っ白になっているらしい。視線を右往左往させて固まる。悪いけど、
マナちゃんを少し操らせてもらおう。あまり余計なことに時間を掛けられない。いつ時間
が止まってしまうか分からないからだ。ボクは目を赤くしマナちゃんの目を覗く。
 お兄ちゃんの名前と学年を教えてよ。
「あっ…あっ…あく、りょう、がっ…がくねんはさんねん…」
「はい、ありがとね」
 ボクはマナちゃんから視線を外す。マナちゃんは目を白黒させ何が起きているのか分か
らない様子だった。しかし、ボクがこの場から立ち去れば何事もなかったようにまた一人
右往左往しだすだろう。ボクはマナちゃんに背を向け、三年の教室に向かう。
 亜久良君、彼はマナちゃんのお兄さん。この世界では彼から詳しい情報は聞き出せない。
ここはマナちゃんの中、あくまでマナちゃんから見たお兄さんの情報しか得られない。お
兄さんのことも詳しく調べなくてはいけないというなら現実で探し出さなくてはいけない。
 四階に着くとすでに生徒の声はあまり聞こえない。今日は入学式である。新二年生、新
三年生は始業式の日に来るのだろう。しかし、入学式で二年生、三年生も行事ということ
で少し呼ばれていた気がする。三年生の教室を順に覗いて回る。
「いないかぁ…。ってことはマナちゃんはこの時、リョウ君に会えなかったのかな」
 ボクは目を瞑る。そして深呼吸。目を開ける。
 先ほどの流れは消え、あらゆる音が消える。空を眺めれば先ほどまでは実際は止まって
いるが雲は流れているように感じただろう。しかし、流れを止めると何もかもが止まって
いるように感じてしまう。
「次の場所はマナちゃんの教室かな」
 次の空間に繋がる場所はランダムだ。でも大体、思い当たるところが次の空間に繋がっ
ている。さっきまでの何もない空間、家、小学校の廊下、中学校。これは全部マナちゃん
の記憶の中からボクの「力」を使って選んだものだ。そして空間を繋いで夢という世界を
構築する。各空間には時間を流すことが出来る。けどそれには制限時間があるから必要な
時以外は使いたくない。マナちゃんの「問題」はリョウ君に関係することだろう。マナち
ゃんの中に入ったときに聞こえた声は、マナちゃんの根本的な願望。リョウ君と離れ離れ
になり、あの声が聞こえたのだろう。中学一年生の時点ではまだリョウ君は近くにいる。
なら、リョウ君がいなくなった時点を探してみようか。それにはリョウ君の姿を確認しな
ければならない。
 ボクはマナちゃんの教室のドアを開ける。マナちゃんの家の玄関のドアに出る。靴を脱
ぎ廊下を歩き、リビングを覗く。食卓の皿の上に食パンなどが置いてある。朝食の時に来
たのだろう。時間を流し、マナちゃんの生活を見てみよう。
 目を瞑る、深呼吸、目を開ける。
「おにぃーちゃーん!」
 突然、僕の鳩尾に何かがぶつかる。マナちゃんが兄を呼びながらボクにぶつかったのだ。
突然の痛みに思わず体がくの字に曲がる。本当に痛い、思わず叫んでしまうところだった。
マナちゃんは尻餅をついて突然見知らぬ人にぶつかったことに茫然と口を開けたまま固ま
っている。ボクはトイレに駆け込むように玄関の外に出る。
「おい、マナそんな所に座っていると邪魔だ。あとパンツ見えているぞ」
「あ…。あれ? え?」
「どうした? 邪魔だ。早く立て」
「マナ、何かにぶつかった?」
「何言っている。自分でぶつかったかどうか分かるだろう。ほら邪魔だ」
「今ここに何かいた。でも今はいない」
「あぁ、そうか。邪魔だ。早く立て、立たないなら先行くぞ」
「あっ待ってー」
 玄関にリョウ君であろう低い声が聞こえ玄関のドアが開く。
「えっ…と、どちらさまでしょうか?」
「君が亜久良君かい?」
「えぇ、そうですけど…どこかで会ったことありましたか…?」
 眉をひそめ怪訝そうにボクを見るリョウ君の身長はマナちゃんの低さとは対照的で百八
十以上はあるように思えた。
「いや、君には会ったことはないよ。だから会いに来たんだ」
 ボクは目を閉じる。深呼吸。目を開ける。
 先ほどの光景は消える。さて、リョウ君の顔は覚えた。でも彼の場合顔より身長の高さ
の方が目立つ気がする。そしてマナちゃんはお兄さんであるリョウ君には心を開いている
ようだった。そのお兄さんがいなくなったことで「問題」が起きたわけだが。
 いつお兄さんがいなくなったのか、どこでお兄さんがいなくなったのか、どうしてお兄
さんがいなくなったのか、それを知らねば。ここからはあまり一気に記憶を跳ばせない。
しらみつぶしにマナちゃんの記憶を辿っていくしかないが、どっちから辿るか…。現在か
ら辿るか、過去から辿るか。現在から辿ると「問題」はすぐに分かるだろう。だが「問題」
の背景が分かりづらい。そして「問題」の根が深いと辿りづらくなってしまう。過去から
辿るとなると根が深い場合は徐々に「問題」が顔を出す。そしてボクも背景を追う形で知
ることが出来るから説得しやすくなるが、時間を流すには制限がある。福沢先生はここの
世界に流せる時間は決まっていると言っていた。この制限時間は「力」を使う人それぞれ
違うらしい。先生は百の制限時間を設けていた。それは先生が百分割して制限時間を感じ
れるからだ。そう自慢された。ちなみにボクの体感では十分割くらいでしか感じることが
出来ない。そして、時間を流すごとに制限時間を消費するが、時間を流す量によって消費
量が変わってくる。さっきの学校は人間や物の数が多かった。その分消費するけど、ボク
は細かくは分からない。さっきの学校の消費で一から二くらいは消費したんじゃないだろ
うか。この家くらいだったら学校の二十分の一くらいしか消費しないから長時間流しっぱ
なしに出来るけど、まぁでも無駄遣いはしないに限る。いつかの患者の過去を辿った時、
街一つの時間を流したことがあるが、三十秒もしないで飛んでしまったことがある。消費
しきってしまったら一度帰らなければならない。出来ればそれは避けたい。時間は食うわ、
疲れるわでしんどいのだ。
 だが、ここからが一番しんどい作業だ。ボクは亜久家の中に入る。あらゆるドアを開け
る。リビングのドア、トイレのドア、洗面所のドア。これらに変化はない。次に二階だ。
 二階の部屋はRYOとMANAMIと両親の部屋で四つある。RYOはシンプルな表札
だがMANAMIはなんか猫と熊と犬を混ぜたような簡単な絵が描いてある。それと両親
の部屋は別々にある。父親の部屋も母親の部屋も次の空間には繋がっていない。残るは二
つ。
 ちなみに同じ空間の違う時間に跳ぶとなるとドアを開けても別のドアに出ることはない
そして確実に部屋に誰かがいるので時間を流しながら移動はしない方がいい。というかさ
っきそれで痛い目を見た。あぁ痛かった…。お腹を擦りながらドアを開ける。リョウ君の
部屋から見える外は暗かった。どうやらRYOの方が繋がっていたようだ
 ボクは部屋の端に行き目を瞑り、深呼吸、目を開ける。
「おにぃーちゃーん!」
 ちょっ危ないっ…! なんでリョウ君の部屋でマナちゃんが飛んで来るんだ…。また鳩
尾に入るところだった…。
「恐るべし、Z組…動きが全く予測できない…」
 ボクは元々存在しないので話しかけたり接触しなければ気付かれることはない。だが、
相手はZ組、一筋縄では行かない。そんなことを思いながらお腹を擦りマナちゃんから一
番遠い角に移動する。
「ねーねー。数学おしえてよー」
 どうやら、マナちゃんはリョウ君に勉強を教えてもらいに来たのか。じゃあなんで部屋
の隅にいるボクの鳩尾に飛び込んできたんだ? というか、壁に顔面からいったよ…。
「いきなり、飛びついてくるような奴に勉強なんか教えるか」
「じゃあ、飛びつかない! 飛びつかないから教えて!」
「ったく……どこがわからないんだ…?」
 なるほどマナちゃんはリョウ君に飛びつこうとしたのか…。それを避けられてボクの鳩
尾もとい壁に飛んできたというわけかい。
 リョウ君はため息をつきながらもマナちゃんの数学の教科書を受け取る。マナちゃんは
うれしそうにリョウ君の対面に座布団を敷いて座る。
「どこのページだ?」
「ここなんだけど…」
 お勉強タイムが始まる。マナちゃんの中学二年の最初の記憶はリョウ君に勉強を教えて
もらったことだ。これじゃあ「問題」の原因はわからなそうだ。
「で、次は?」
「次はここなんだけど…」
 特に何もなさそうなので、ボクは部屋を出る。すると、一階のリビングから声が聞こえ
る。両親の言い争いの声が聞こえる。しかし、その内容を聞き取ることは出来ない。マナ
ちゃんは内容まで聞いていないのだろう。しかし両親が何か言い争いしているというのは
記憶していたということだ。
 そこで、反射的に考えが浮かぶ。短絡的な考えだ。リョウ君と離れ離れになった理由は
両親の離婚とか、かな?
 最初は事故か何かで会えなくなったとか、遠い学校に通うなどかと思ったけど…。でも
まだ結論を出すのは早い。一応頭に留めておく程度にしておこう。次の場所を探す。今度
はマナちゃんの部屋が移動場所。どんな過去が待っているのだろうか。部屋に入り、時間
を流し、そして部屋を出て、また入り、流し部屋を出る。そうしてひたすら、マナちゃん
の記憶を辿る。
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