赤目の林道先生

5日目1

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「どう、ケン君。何か「問題」は起きたかい?」
 五日目。昼休みにリンドウ先生に空き教室に呼ばれた。
「「問題」は特に何も起きてないです」
「鹿羽君の様子はどうだった?」
「んー、すごい吃るっていうのか、人と話すのに慣れていないって感じでした」
 リンドウ先生は椅子を傾けさせ釈然としない様子で缶ジュースを飲んでいる。
「それ以外に何か気になる事はあった?」
「いや…特には…」
 飲み干した缶ジュースを手の中で転がす。だが、視線は黒板を射抜き先生は黙ったまま
だ。
「あの、先生。シカバネってどんな「問題」を抱えているんでしたっけ?」
「シカバネ君は家を出ないっていうのが「問題」だと思うんだけど…」
「頭ん中覗いた時はどんな記憶が見えたんですか?」
「何にも無かったよ。無趣味って感じだったし…」
「先生、ちょっと待ってください。あいつの部屋、フィギュアとか車の模型とかそういう
ので埋め尽くされていませんでした?」
「いや…。記憶を覗いてもそんなの無かったけど…」
「俺が相手しているのは鹿羽剛士なんですよね?」
「そうだよ。そこに違いはない。なんだろう…。ボクはじゃあ何を覗いていたんだ…」
「どうします?」
「ボクも彼の家に行ってみたいけど、先生っていう立場上、先生としての理由なしには行
けないんだよね。だからケン君。今日はシカバネ君の部屋をよく見てきてよ」
「了解っす」
 今日も、シカバネの家に遊び行くことになった。ホームルームが終わって帰りに支度を
しているシカバネに話しかける。
「おっす。今日もお前んち行こうぜ。昨日はみっちりとマグロの捌き方を練習したからな」
「あ…あ…いいよ、行こう…」
 長い髪に隠れた目が俺を見る。今更だか、ジョン・レノンみたいな髪型だな。

「おっ邪魔しまーす」
 シカバネの家はマンションの三階。家賃ってどのくらいすんだろうか。玄関で靴を脱ぎ
ながらテキトーなことを考える。玄関を上がってすぐ左手のドアがシカバネの部屋だ。
「ちょっと手洗ってくるわ」
 で、シカバネの部屋の隣がトイレ、その隣が洗面所、対面がキッチンとなっている。ち
なみに廊下の突き当たりがリビングでキッチンと繋がっている。洗面所で手を洗い廊下に
出るとキッチンにシカバネのお母さんが洗物をしていた。
「あ、お邪魔してます」
 会釈すると、向こうも幸薄そうに笑い軽く会釈する。シカバネの雰囲気は母親ゆずりな
のかもしれない。健康的とはいえない線の細さ、歳と苦労を感じさせる豊麗線をとり、一
本に縛った髪を解いた姿の雰囲気は同じものになるだろう。
 シカバネの部屋に入る。相変わらず圧倒される。この部屋に入ると地震でイチコロだろ
うなと必ず思ってしまう。この壁に飾ってあるプラモデル一つくらい触らせてくれないだ
ろうか。…いや、やめておこう。こういうのは下手に触って壊すというオチまでが一つの
セットだ。そんなことを今やったら良好な関係は築けないだろう。部屋の中を見渡し、腰
の高さくらいの棚の上に乗ったガラスケースを覗く。中は三段になっておりそれなりの大
きさだ。その隣には雑誌、歴史物の本、漫画の本棚。これは俺の身長の百七十くらいまで
ある。いや俺より大きいや。
「さっきから…何を見てる…」
「え? あぁ、いや相変わらず凄い凝った部屋だからよう。気になって仕方ないんだよ。
俺もゲームとか漫画やらアニメやらって好きだけどあんまり知らなかったからさ」
「君は……本当に好きなのか……?」
「え、何が?」
「こういうの……す、好きなのに……あまり知らないって……それって好きなのか?」
 なんとなく、棘のある言い方に聞こえる。なんか地雷踏んじまったか…?
「うーん、まぁ、シカバネ程のめりこんではいないけど、趣味の一つってやつかな?」
 俺も棘のある返し方をしてしまった。
「趣味の一つ……? ほ、他にも…な、何か趣味があるのか…?」
「え? あぁ、うん野球とか…」
「野球?! 野球を……す、するのか…」
 シカバネはいきなり声を荒げる。え、何、野球ってワードに何かトラウマがあるの?!
「野球って言っても…キャッチボールするくらいだ。人数いないしな。それよりあれだ。
マグロカートやろうぜ。昨日練習してきたんだ。俺の成長っぷりを見てくれよ!」
「あ、あぁ…そうだね…」
 なんだかアップダウンが激しいしよく分からない奴だ。それに何か野球に嫌な思いであ
るのか? リンドウ先生は特に何もなしって言っていたけど。あれか、窓を野球のボール
で割られてコラーッ! って展開でもあったのか?
 そんなことを考えながらマグロカートのパッケージの裏を眺める。
―――リアルさを追求した回遊魚たちの戦いがついに実現した! 前作の日本近海の回遊
魚に加えイカやマンボウが参戦!
 なんだこのキャッチフレーズは。というかこれシリーズものだったのか…。
「イカは軽いけど墨で画面妨害できる。…マンボウはマグロより重い…」
「うーん、昨日は鮭とマグロとかつお使ったんだけど今日は違うの使うか…」
「イワシやニシンは軽くて使いやすい…。ブリは出世魚だからやられなければスピードは
一番速い…」
 出世魚だからって意味が分からんが。
「じゃあ使いやすいっていうイワシで行くか」
「じゃあ、ブリを使うよ……」
「お、出世王か」
「出世魚だよ……」
 シカバネの突っ込みを流し、コントローラを握る手と画面に集中する。
 基本的なシステムは某カートとあんまり変わらない。違いはコースと刺さったり網に絡
まると死ぬことだ。そして昨日散々刺され捕まりまくった! そう簡単にはやられん!
 と、思っていたら俺のイワシが竹に刺さって浮いてしまった。
「んなにぃー!」
「ケンを狙うと……は、反応が面白い……」
 こいつ! 俺を後ろから狙っていやがった…。なぜ皆俺を狙うんだ…。
 その後もやはり俺のイワシは狩られまくって大海原を真っ赤に染めた。

「お、もうこんな時間か。そろそろ御暇しますか」
 時計を見ると七時を回っている。今日は先生がうちに来るって言っていた。
「あ…あ、また明日」
「おう、じゃな」
 シカバネの部屋から出て玄関に向かう。するとシカバネのお母さんがリビングから半身
覗かせていた。
「あ、お邪魔しました」
 目が合ったので挨拶をすると。
「あの、うちの子、迷惑かけませんでしたか…?」
「ん? いえ、別に何も…」
 むしろ俺がコレクションを触ろうとして地雷を踏みそうになったくらいだ。
「頭井君はあの子のお友達ですか?」
「あぁ、まぁ最近よく話すんで遊びに来たんです」
 それにしても妙ななことを真面目な顔で言う人だな。
「それじゃああの子と電話はしますか?」
「ありませんけど…」
 なんだなんだ。またもや変な質問が飛んできた。俺は思わず立ち止まったまま黙ってい
たら、シカバネのお母さんは苦笑いを浮かべ口を開いた。
「……。あまり私が心配しすぎるのも過保護だと思うんですが剛士にはずっと友達がいな
いんです。それなのにあの子、ずっと部屋で誰かと話しているんで…」
「一人しかいない部屋で話している、ということですか」
「はい、あの子とは全然会話がないので、お恥ずかしいながらあの子に友達がいるのかど
うかも正直分からないんです…」
「剛士君って外に遊びに行ったりするんですか?」
「え? えぇ、たまに外に買い物に行ってます。大きな紙袋を両手に抱えて帰ってきたの
を見たことありますし…」
「そうですか。いえ剛士君の部屋ってなんていうか一つの展示室みたいな感じがしたので
どうやって集めているのかなぁって思いまして」
 あまり長話をしていると文句をたれるのが二人いることを思い出し話を切り上げ鹿羽家
を後にした。
 外はもう暗く、俺は近くのスーパーでラーメン三玉、キャベツともやし、豚肉を買い家
に急いで帰った。ボロアパートの階段を鳴らしながら駆け上がる。学校鞄とビニール袋に
塞がれた両手を巧みに操りポケットから鍵を取り出しドアを開ける。
「おっそーい」
「何やってたの」
「ごはんまだー?」
 ちょ、一人多いんすけど…。靴を脱いでビニール袋を台所に置く。
「はいはい、今用意しますんで十分ほどお持ちを…」
 深い鍋に水を汲みコンロの火を点ける。その間にキャベツをザク切りにし豚を炒めるた
めまな板と包丁とフライパンを取り出す。
「もしかしてまたラーメン?!」
「グズグズ言うな。味以外には文句を言わないルールだろ?」
「だって、あんたラーメン以外にも作れるくせに、どうしていっつもラーメンなのよ」
「いいか。ラーメンだったらまずどんぶり三つ!」
「……」マナが遠くを見る目で俺を見る。すんません忘れてました。
「……どんぶり四つ! そして麺をゆでるのに鍋一つ野菜は切って豚肉と炒めるのにフラ
イパン一つ! 見ろよ…洗物が六つで済むんだぜ…」
「洗物が面倒くさいだけじゃない…」
「そうだ、それだけだ」
「ボクは何でも食べるから。ほらケン君早く準備しちゃいなよ」
 リンドウ先生に促されさっさとラーメンを作る。こうやって、先生やマホ、あとマナに
飯を出すというか、一緒に食卓を囲んでいるということがなんか変だといつも思う。だけ
どこの風景を手に入れていなければ俺やマホはずっと独りで引きこもり続けていただろう。
それを先生が暗いところから引っ張りあげてくれた。その時に提案してくれたのがこの今。
最初は常に一緒にいるよう言われた。独りでいると後ろ向きなことばっかり考えてしまう
と指摘された。だからそんな独りで考える暇がないよう常に誰かといるよう言われ、この
助手というか手伝いというか、先生の悩み相談を手伝っている。今はマナも加わって四人。
これから先生はZ組全員の悩み相談を受けると言っていた。Z組は皆なにかしら問題を抱
えている。それは大なり小なり色々だ。ここ一ヶ月は何も起きていない。いや、起きてい
ないんじゃない。気付いていないだけ。本当は何かが起きている。けどそれを気付かせな
い奴がいる。何気なく机の数を登校初日に数えたが、数日後には忽然と机が消えていた。
それに誰も気付かない。いや、気付いているのかもしれないが誰も口に出さない。俺はた
またま気付いたが、マホやリンドウ先生は俺が言うまで気付いていなかった。なぜ、そん
なことをしているのかは俺には分からない。そこら辺の理由を知るのはリンドウ先生の役
目だ。というかリンドウ先生じゃないと分からないだろう。
 今回のシカバネだって、何が「問題」なのかよく分からない。リンドウ先生も釈然とし
ていない様子だった。これは謎解きとかそういうものではない。ただの悩み相談だ。なの
になんだかややこしいことになっている。
「先生」
 ラーメンをすする先生に俺は声をかける。前屈みで口に麺を運んでいる体勢のまま先生
は俺を見る。
「シカバネの「問題」ってまだよく分かっていないんですよね?」
 先生は麺をすすり噛む動作をしながら目を瞑り考える仕草をする。先生が食べ終えるま
で沈黙したまま待つ。マナとマホは気にせずラーメンをすすっている。
「そうだね。……あれ、もしかしてケン君何か分かっちゃった?」
「分かったってわけじゃないんですけど…シカバネのお母さんと今日話したんですよ。そ
の時に妙な話を聞いたんです」
「妙な話って?」
 マホが麺をすすりながら会話に割り込む。全部食べてからしゃべりなさい。
「それが、一人しかいない部屋なのに誰かとしゃべっているらしいんですよ」
「電話してんじゃないの?」
 マホがまたまた割り込む。いいから早く食べろ。
「いや、シカバネって今まで友達ができたことないんだって」
「なのに、誰かと話している。……何だろうね。それはちょっと気になるねぇ」
「マナ、小さい時、一人で家にいる時人形とお話してた」
 マナも割り込んでくる。ちゃんと食べ終わってる。偉いぞ。
「んー…でも、高校二年生にもなって、人形遊びはしないんじゃないかぁ?」
「いや、実はそういう趣味なのかもしれないよ? Z組は変人ばかりなんだからね」
「でも先生、その変人を普通にしようとしているのが先生っすよね? もしかしたらシカ
バネの「問題」ってその趣味なんじゃないんすか?」
「ちょっとケン。まだ鹿羽がそういう趣味って決まったわけじゃないでしょ」
「んー。やっぱり彼に直接聞かないと分からなさそうだねぇ」
「でも、一昨日も先生の「力」使って頭ん中覗いたんですよね?」
「そうだね。あっそうだ。ケン君、今日は部屋の中見てきてくれた?」
「あぁ、はい。見てきました」
 そう言うと先生は一気にラーメンの汁を飲み干し立ち上がる。
「ごめん、マホちゃん洗物任せていい?」
 マホはいいですよと言って台所に立つ。リンドウ先生はテーブルから少し離れこっちに
来るよう俺に手招きする。
 先生の前に胡坐をかく。マナは先生と俺の間から少し距離を置いて正座する。
 先生は俺の目を見つめる。そして徐々に充血するように目が赤くなる。赤みは強くなり
ウサギの目のように赤くなる。先生の目を見ていると睡魔が襲ってくる。これは授業中で
も変わらない。次第にその睡魔に逆らえなくなり俺は落ちる。
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