赤目の林道先生

6日目1

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 六日目、昼休みを迎える。だが今日は空き教室には誰も呼ばないし、ボクも行く予定は
無い。今日は保健室に用事がある。
「失礼します。フック…沢先生はいらっしゃいますか?」
 生徒にあだ名で呼んでいるところはあまり見せたくない。先生の威厳がなくなっってし
まう。
「なんですかー? フック沢先生はいますよー」
 奥の事務室から茶化すようなフックンの声が聞こえる。またこの人は奥の部屋で何かや
っているのか。
「リンドウです。ちょっと福沢先生に用事があるんですが…」
「なんですかー? いつも見たくフックンでいいですよー。別に今生徒さんいませんし。
リンドウ先生に威厳はあまり感じませんし」
 あっそうですか。
「フックンに用事と言ってもフックン自体には用事は無いんですよ」
「んー? どういうことですか?」
 奥の事務室から白衣を叩きながらフックンが出てくる。
「フックンは、福沢先生は何か忘れいてることはありませんか?」
「え、ワタシ何か約束してましたっけ?」
 顎を押さえて首をかしげる。全く心当たりなしといった様子だ。
「いえいえ、やっぱり何でもありませんでした。それで用事って言うのが、あの事務室の
ダンボールあったじゃないですか。あれの中身をちょっと拝見したいんですが…」
「んー。あれにはワタシの恥ずかしいことが赤裸々に書いてあるの…。それでも見たい
の?」
「いや、その赤裸々な内容には用はないんです。それじゃなくて昔、悩み相談を記録して
いたノートを見せて欲しいのです」
「んー…。んー? なんのこと?」
「……いえ、じゃあその赤裸々なノートを見せてください」
「いやよー。恥ずかしいから見せないのよー」
「そういう風に守るようにしているんですかねぇ…」
「なんのことかしら?」
 笑顔を貼り付けるフックンだがなんとなく無機質なものに感じてしまう。まぁ、別に無
理してみるものでもないのだろう。
 ……いや、何だかんだ言ってボクは「力」についてあまりに無知だ。もっと知らねばな
らないことがあるはずだ。
 ボクはフックンを見つめる。記憶を封じているだけで「力」を持っている。ボクの「力」
は効きづらいだろう。下手したら効かないかもしれない。
「リンドウ先生、目が赤いですよ…。大丈夫ですか?」
「いえ…大丈夫ですので…」
 あぁ、効いてない…。ケン君とかならもうぽっくり落ちるのに。なんか知らないけど目
から出血するから出力は上げたくない。が、フックンは眠る気配がない。
「先生、ちょっと失礼」
 肩を掴み抱き寄せるように目と目を近づける。強引な力にフックンは肩を縮めて離れよ
うとする。が、すぐに体から力が抜け膝から崩れる。
「すみませんねぇ…」
 ボクの胸にうずくまる様に倒れるフックンをベッドに寝かせる。
 ……もし、シカバネ君の記憶操作もボクがなおすことが出来たら、先生の記憶も戻せる
かもしれない。それに今なら記憶の中も…。頭に手を近づけフックンの瞼を強引に開き覗
き込む。
「失礼しまっ…たぁ…!」
 その時、保健室のドアが開く音と昼休みの騒然とした音とマホちゃんの元気の良い声と
誰かの着地する音が背中の方から聞こえた。振り向くとマホちゃん、とその下にマナちゃ
ん。マホちゃんは抱いていたマナちゃんを落としてしまったのだろう。すると固まってい
たマホちゃんが。
「アウト」
「セーフ」
「「よよいのよいっ!!」」
 ボクがグーでマホちゃんがチョキ。やったっ勝った。マホちゃんは負けちゃったと残念
そうにチョキの手を見る。
「それじゃあ、言い訳というか、誤解を解いていいかい?」
「あ、はい。弁明を聞きたいと思います!」
「五日前、マナちゃんと初めて会った日にここに来たよね?」
「そうですね。あたし、マナと添い寝してたのを覚えています!」
 あぁ、ダメじゃん。マホちゃんはその後起きて、そのまま帰ってるし。
「えーっとね。その時に奥の事務室でダンボールの整理をやってたんだけど、そのダンボ
ールの中身がシカバネ君の「問題」の解決に繋がるかもしれないんだ」
「ふんふん。それでなんでフックンをベッドに運んで何かやろうとしてたんですか?」
「んー。実はフックンも記憶操作をされているからついつい記憶の中を今なら覗けるかな
ぁって思ってたら…」
「マナたちがきた」
「そう! さすがマナちゃん!」
 えへへへと笑うマナちゃん。うん、そうやって笑っていればマホちゃんもほら、上機嫌
になって君に抱きつく。でも君は不機嫌になってしまうね。
「それじゃあ誰か来たらボクを呼んでくれー」
 冷蔵庫から缶ジュースを取り出し一口飲む。そしてフックンの寝ているベッドのカーテ
ンを閉めておき、ボクは事務室のダンボールと対峙する。ダンボールは床に並べてある。
崩れないように五段から三段にしてもう一列増やしたのだろう。少し、狭く座ることは出
来なさそうだ。ダンボールの一つを事務室から出す。事務室前に置いてある椅子に腰掛け
ダンボールを漁る。なんとなく二人は何やっているのかと顔を上げるとマナちゃんが診察
椅子でクルクル回っている。マホちゃんは電気ポットを使ってお茶を入れている。ん、何
もなさそうだ。ボクはこっちに集中しよう。飲みかけの缶ジュースを事務室外の窓枠に置
く。
 ノートをめくる。中には相談を受けた内容と相談者と対象者。小さな悩みから大きな悩
みまである。相談に乗っていた期間も悩みの大きさに比例しているのだろう。何人も請負
っている時期もある。そしてこのノートは他人には見せてはいけないだろう。大分昔のこ
とと言ってもかなりプライベートな内容もある。
 あるページにには気になることが書いてあった。

―――人間以外にも宿る意思がある。ワタシはそれを見つけた。そして意思をヒト以外に
宿すことをできることを知った。試しに宿してみたモノがある。もしワタシと「同じ」で
あれば「覗く」ことができるだろう。

 それって「力」のことだろうか。先生は「力」のことを調べていたのだろう。ボクとは
大違いだ。ボクはあるままに受け入れっぱなしで根拠を調べようとはしなかったなぁ。今
でも頼りっぱなしだ。
 一人苦笑いを浮かべ次のページに視線を移す。すると。

―――私に解ける悩みは決して多くはないだろう。答えを出すのはいつでも相談者。私は
解く手伝いをするだけ。

 この文章に意思が宿っているのかな? 力を使わないと見れないと言っていた。
 目を閉じて、深呼吸。そしてもう一度文字を見る。
 ボールペンの黒いインクで、なぞられた文字が赤く滲む。ノートを掲げて目を細める。
色合いが変わったりはしない。掲げたノートを顔を近づけ文字を覗く。

「福沢先生。最近生徒の相談に乗ってあげているらしいですね」
「えぇ、学生時代は色々なことに悩みを抱えると思います。その悩みに答えをだして上げ
れればと思いまして…」
「その、私の悩みも相談してよろしいでしょうか?」
「え、えぇ…教頭先生の悩みにワタシが答えられるかどうかは分かりませんが…」
「いえ、そのぉ、父兄の方々から最近苦情がきておりましてぇ…。生徒が先生のことばか
りを話しているとのことでしてぇ…そのぉ…何か不埒なことがないかとぉ…えぇ…おっし
ゃられてましてねぇ…」
「え?! そんな噂があるんですか?! どの先生にそんな噂が?!」
「えぇ…えぇ…そうですねぇ…。近くで見ていると絶対にないとは思うんですがねぇ…」
「まさか…国語の斉藤先生ですか…。あの人、おっとりしていて生徒からも人気高いです
し…。ワタシもよく相談に乗っている時の世間話で出てきますよ。男女ともに人気高いで
すよね」
「それがぁ…えぇ…。その福沢先生のことなんですよぉ…えぇ…」
「え?! ワタシですか?! ワタシ生徒からそんな人気あるんですか?!」
「えぇ…らしいですねぇ…。えぇ…それで、その悩み相談を少し自重していただけないで
しょうかぁ…」
「そうですねぇ。そういう噂が立ってしまっては色んな人に迷惑を掛けてしまいますしね。
分かりました。その噂が収まるまでおとなしくしています」
「すみませんねぇ…。しかしこんな苦情がくるとは思ってませんでしたよ、えぇ…話しを
聞いた時吹き出しそうになってしまいましたよ、えぇ…」
「ふふ、それほどお子さんの事が心配なんですよ」
「心配なさなるのはいいですかねぇ…過保護にしたり、学校に期待しすぎているのか、教
育を全て任せようとするんですよねぇ…」
「んー。塾とかも結構目にしますしねぇ。ワタシは子供がいないのでそこら辺の考えを知
ることが出来ないですが。いきすぎた愛情なのか、愛情を与えていないのか。どっちにし
ろ歪んでいる気がしますねぇ」
「そうですねぇ…」
「あ、そうです! ワタシが直接その父兄の方に会って相談に乗れば…!」
「やめてくださいよぉ…。あなたみたいに皆が皆「良い人」って訳ではないのですからね
ぇ…。どう裏返しに解釈されるか、わかったもんじゃありません…」
「そうですか…。あ、でも、今相談を受けている子だけは良いですか? 新規の方は受け
付けておりませんってことで」
「えぇ…。父兄の生徒さんでなければ、大丈夫だと思います。が、遅くまでその生徒を残
すようなことは控えてくださいねぇ…。また変な噂が立ったら先生も困るでしょう…?」
「そうですね、お昼休みとかだけにしておきます」
「えぇ…よろしくお願いします…」

「リンドウ先生寝ているんですかぁ?」
 意思を覗き終わった時、ちょうどマホちゃんが話しかけてきた。ボクはノートを顔に被
せるように上を向いていたことがマホちゃんには眠ってしまっているように見てたのだろ
う。まぁでも、この体勢でも寝るのは大変そうだけど。あぁでもケン君なら寝そうだ。
「いや、起きてるよ。で、どうしたの?」
 顔に乗っているノートをどけてマホちゃんを見る。台所でポットに手を掛けている。
「お茶入れたので、先生も飲みます?」
「あぁ、もらおうかな」
 そう言うとマホちゃんは急須にお湯を注ぐ。ボクは窓際に置いてある缶ジュースを飲み
干しゴミ箱に捨てる。
 今見えたものが先生の見つけた力の使い方。死んではいないけど残留思念みたいなもの
なのかな。そう呼んでおこう。だけど、物にも意思が宿るってことはものも「力」が覚醒
するってことはないかなぁ。
 そんなことがあるかと冗談交じりでノートをめくる。もちろんそんな内容はひとつもな
い。
「お茶入れましたよ」
 マホちゃんが窓際に白い湯呑みを置く。
「ありがとね」
 湯呑みを持つと、予想以上に熱かった。息を吹きかけ湯気を飛ばしながら冷ます。
 物に意思を残す方法か。そんなことやってみたことなかった。今は意味がなくとも何か
に使えることがあるかもしれない。ボクも少し力の使い方を勉強しよう。別に力は使うつ
もりなはいけど湯呑みをじっと見つめる。
「マホちゃん、今日はこのあと暇なの?」
「暇ですよ。あ、でもマナと出かけるので暇じゃないかもしれません!」
「ははは、何度も言うけど過激なことはしないようにねぇ。君らはまだ出会って一週間も
経っていないんだから。マナちゃんに恐怖を植え付けないでよ?」
「時間なんて関係ありません…。あたしとマナがどんだけ相性がいいか。それはもう時間
すら超越します!」
「超越しているのはマホちゃんの妄想だけだと思うから気をつけてね…。ほら、マナちゃ
んがすでに君が良からぬことを考えていると察して帰る準備してるよ」
「え?! マナ、待ってぇ! 一緒に帰ろうよー!」
「いやだ」
「そんなこと言っても後ろからついて行っちゃうんだからぁー」
 あぶねぇ…。男子だったら確実に変質者とストーカーのレッテル貼られてるよ…。あれ
もいつかは治させないとダメかもなぁ。
 さて、どうやってシカバネ君の家に上がろうか。土曜だから午前授業で終わりだ。ケン
君もいないのにボク単体で行くなんて不自然すぎる。それに家族がいたりしたらやばい。
ボクが記憶操作できるのは一人ずつ。家族の前で力を使いだしたらややこしいことになる。
これは絶対に避けなくてはいけない。明日の日曜日はケン君のバイトはない。日曜日は隔
週だったから来週の日曜はバイト、と。今週も何回も休ませちゃっているからなぁ。悪い
ことしたな。これからはなるべくマホちゃんに頼もう。そういえばマナちゃんも普通にマ
ホちゃんと話しているし。結構、普通になってきてる。次は他人と話すことかな。今日は
動けなさそうだし。こっちはお休みだ。フックンを起こして今日は小テストの丸つけをす
るかな。
 ノートを段ボールに戻して、フックンの寝ているカーテンを開ける。
「フックン、そろそろ起きてください」
 頭に手をかざす。数秒して、フックンが反応する。眉間にしわを寄せまぶしそうに目を
開ける。
「ん…。あれ…」
 上半身を起こして辺りを見渡すフックン。
「えっ! もしかしてワタシ…寝てた…?」
「えぇそれはもうぐっすり。ボクやマホちゃんが来たから良かったものの他の生徒や先生
が来てたら大変なことになってましたね」
「あー…。これはご内密にー…」
「大丈夫ですよ。別に誰にも言うつもりはありません。それではボクはこれで失礼します」
「あっ、リンドウ君」
 何かを思い出したかのように突然呼びとめられる。
「……なんですか、先生?」
「あっ…ごめんなさい。ちょっと寝ぼけてたわ」
 眉間を抑えて目を瞑るフックン。ボクは次の言葉を待つ。
「何でもないです。呼びとめちゃってごめんなさいね」
「何か…夢を見ていたんですか?」
「夢…ねぇ…。そうですね。夢を見ていたかも」
「どんな夢を見ていたのですか?」
「変な夢なんですよ。…笑わないで下さいよ」
「夢なんて大抵変ですから、むしろ笑えるくらいのをお願いしますよ」
「ふふ、ワタシがね、リンドウ先生みたいに悩み相談を受けているの。それで生徒のリン
ドウ先生がこの保健室に相談しにやってくるの」
「そうですか、きっと夢の中のフックンはたくさん相談を受けていたんでしょうねぇ」
「んー。どうしてわかるのですか?」
「いえ、なんとなくです」
「あら、そう」
 フックンは肩をすぼめる。
「それでは、失礼します」
 ボクももう行こう。一瞥して保健室を出る。今みたく記憶操作をされていても、完全に
忘れることはない。それは夢に現れたりして記憶がこぼれおちる。今みたいなやりとりは
何度かあった。でも、それは夢の中のお話。先生にとっては現実ではない。
 「力」を持つ先生にはボクの「力」は効かない。どうすれば先生の記憶は戻るのだろう
か。そして誰が、どうして、記憶なんて封じたのだろうか。
 多分今は先生のことに関しては答えは出ないだろう。そんな気がする。
 ボクはケン君に明日もお願いするようメールを入れ、国語職員室に戻った。
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