赤目の林道先生

7日目1

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 七日目、リンドウ先生からメールを受け取り俺は今日もシカバネの家に来た。今日は先
生も来るらしいがどう言った理由で来るのかは聞かされていない。
 シカバネの家の番号を選び入り口のオートロックを開けてもらう。
「ようっす!」
 家のインターホンを鳴らすとシカバネが顔を出す。
「よ、よう…」
「おおう、なんかテンション低いな…。なんか悩みでもあるのか?」
「いや…。別に…何もないよ…」
「まぁいいや。手洗って来るわ」
 そう言って洗面所を借りる。洗面所の向かいにはキッチンが見える。シカバネのお母さ
んはいない。その代わり、廊下の突き当たりのリビングからはテレビの音が漏れている。
他の家族はそこにいるのだろう。半開きのドアからお邪魔しますと挨拶しておく。中から
男性の低い声でおおう、と声が聞こえた。シカバネとは違い陽気そうなイメージの声だ。
 シカバネの部屋に入るといつも通りの展示室っぷりを感じる。プライベートルームなの
に人に見せるためにあるような部屋だ。その印象のせいでテレビやベッド、机などの日用
品の存在に違和感を覚えさせられる。
 俺はケータイのメールを確認する。昨日リンドウ先生からシカバネに家に行く際もう一
つ頼まれていたことがある。それはもう一度、部屋のものを確認して欲しいということだ。
「ここに来るとまずこいつらを眺めたくなるんだよなぁ」
 そう言って部屋の中のものを一歩ずつ移動しながら見ていく。上を見上げて次にガラス
ケースの中を見る。下段、中段、そして上段。いつも通り、ここ数日で見た光景だ。
「…………」
 部屋の中の展示品を見終え、シカバネとゲームをする。相変わらず強い。そして、夕方
までひたすらゲームをしてしまった。リンドウ先生は現れなかった。何度かメールをする
も、返事は返ってこないし、電話も繋がらなかった。
「それじゃ、また明日」
「あ…あぁ、それじゃ…」
 シカバネにいつも通り無表情で見送られる。今日の晩飯はうちだったな。晩飯はどうす
るか。そんなことを考えていたら、見透かしたようにマホからメールが入る。
―――晩御飯はあたしが作るから早く帰っておいで!
 …なんだ? いきなり、今日なんかの日だっけか? あいつが俺に気を遣うことなんて
滅多にない。こんなことをされると何か企みがあるのではないかと構えてしまう。
―――なんか、あんのかー?
―――何もないよ。ただ作りたくなっちゃっただけ!
 アッカンベーの顔文字を添えられて返信が来る。何を作りたくなったんやら。あぁ、マ
ナと料理でもしてるんだな。…ってことは後片付けは確実に俺…!
「まぁいいっか」
 なんとなくいつもと違う日常に早足になった。
「おーっす。何やってるんだぁ」
 靴を脱ぎ狭い部屋の中を見る。がなんだかその部屋が広く感じた。なんだろうか。
「あれ? マナはいねぇのか?」
「え? あぁ、今日は一緒じゃないよ。何よ、いて欲しかったの?」
「いんやぁ、てっきりマナと晩飯作ると思ってたからなぁ、違うのか。そういえばリンド
ウ先生から連絡なかったか?」
「ないけどー」
「そっか」
 俺は丸テーブルの前に胡坐をかき、何度も読んでいる少年週刊誌に目を通す。最近は二
人でいることがなかったからなのか、なんとなく二人でいることにいつもはない気まずさ
を覚える。マホもマホで、何も言わずに黙々と晩飯を作っている。何かを炒める音と鍋の
蓋の音と雑誌のページをめくる音だけが部屋を占領する。
 なんだか落ち着かない。俺はいつもは読まない文字の多い漫画に目を通す。
「ほら、そろそろ雑誌片付けてご飯にしよ」
「あ、あぁ…そうだな。お、なんか今日は肉が多くて気合入ってるじぇね―の」
「たまには豪華に、ね」
 マホが笑いかけてくる。…なんとなく目が合うのが恥ずかしくなり強引に視線を晩御飯
に移し箸を伸ばす。
「いっただきます!」
 腹が減っていたこともあり、ご飯が進む。
「どう? おいしい?」
「見てわかんねぇのかぁ? うまいに決まってんだろうよ! もうしゃべる時間ももった
いねぇーぜ!」
 俺は笑いながら肉と野菜とご飯にがっつく。それは傍から見たらうまそうに食べている
だろう。実際にうまい料理だ。でも何か違和感がある。でもその違和感の正体は分からな
い。
「ご馳走様! 片付けは俺がやるよ」
「あ、いいよいいよ、あたしがやるからケンは座ってていいよ」
「あ? こんくらいはやるよ」
「いいの! ほら座っててって」
 座っててってって言われてもなぁ。
 マホが洗物を始める。俺はさっきの漫画の続きを読む。相変わらず文字数が多くてパッ
と見、読み気が起きない。だがこういう何も出来ない時間に読むとうまく時間を使ったき
がする。
 だが、漫画も読み終える。本格的にやることがなくなった。
 ……。座っててって言われたが…。座っててってすごい言いづらいな…。俺だったら唐
突に座っててって言えないかもしれない。いや、座ってて、なら言えるか。座っててって
だったら難易度は上がる…。座っててって、座っててって、座っててって、座っててって
…。やべぇ、すわっ、の部分を、ててっ、に変えればなんかリズムいいな。楽しくなって
きたぜ!
 だが、リズムを刻むのも六十秒も掛からずに飽きてしまった。俺は一体何をやっている
んだろうか。そしてさっきからこの落ち着かない感じは何だ。この違和感のせいだ。リズ
ムを刻んだり読まない漫画を読んでしまったのもこの違和感のせいだ。
 マホを見る。洗物を終えて食器を棚にしまっている。するとまた目が合う。
「……ん…んん…!」
 これだ…。違和感の正体が分かりかけたかもしれない。
 違和感その一、マホがなぜか制服姿じゃねーか。
 違和感その二、なんかマホがしおらしい。
 違和感その五、なんで布団が敷いてあるんだよ。まだ、七時過ぎだろうよ…。
「どうしたの?」
 マホがなぜか俺の横に座る。おめぇの定位置はそこじゃないし。顔が近い。息が掛かる。
なんか可愛い。なんでこうなってんの。リンドウ先生から連絡はない。なんか時間がたつ
の早い。動悸息切れ止まらない。更年期じゃない。俺男。
「ねぇ…どうしたの?」
 マホが笑いながら顔を近づけてくる。俺は脚と手をバタつかせ後ろに下がるとマホが猫
科のように獲物目掛けて飛び掛る。
 俺はシマウマのように逃げることは出来ず、押し倒される。あぁ、ちゃんと野生動物番
組を見ていればこんなことには…! 今ならハイエナでもいいから来てくれ…!ハイエナ
募集中…!!
「ねぇ…ケン…」
「は、はいぃ…!」
 マホが脚と脚の間に脚を入れてきてさらに接近戦に持ち込む。あぁ、草食動物は自然の
摂理に負けてしまうのか。いやそんな話じゃないし。なんかやばい。もう誤魔化せない。
今までは灯台下暗し、いや、もう灯台の中だったから、何もなく仲良くしてたが、こん日
が来るとは。なんでだ、全くそんな気配もなかったし。それに超が三つ付くほどの奥手の
マホがこんな大胆な…! なんだこのガン攻め。
「マホ…」
 搾り出すように震えてかすれた声を出す。俺は死に際に言葉を残す爺かよ。いやそんな
ことを考えている場合じゃない。どうなるのこれ。なんだこの空間。目の端に入った時計
は時間を刻んでいない。超時空、超時空、俺は今超時空の中にいるのか…!
「……」
 やめろぉ…! 俺をそんな可愛い目で見るなぁ…! うわっはっ…! 他人から見たら
うれしい状況なんだろうけど、ヘタレな俺には何も出来ない。まな板の鯉だ。逃がしてく
れぇ…! 後日、日を改めてお伺いしますからぁ…!
「…」
 なんだ、こいつは…。マホじゃない! こんなのマホじゃない! あいつはこんなこと
出来ない! マホが目を細めて顔を近づけてくるが俺は口をパクパクさせたまま後ろに引
く。 だがマホが覆いかぶさり首を少し反らすことしか出来ない。
「ケン、あたしがイヤなの…」
「イイイイイイヤなんじゃない。ただただだだ…分からないんだよ。その…お、お前がい
きなりこんな事してくることが」
「ケンはあたしのことが嫌い?」
「イイイヤ。嫌いじゃないよ。わ、割と…好きな方だ…」
「なら…こうなっても不思議じゃないんじゃないの…?」
「イイイヤ…ち、ちがう。違う、も、もしかしたら俺の自惚れかも知れないけど…。マホ
はこういうことをいきなり出来ない性格だ。その…めっちゃくちゃ奥手で三ツ星がもらえ
るほど奥手だ。自分に恋愛話を振られると滅法弱い。だからいつも自分に振られない様、
他人に振っているし、マナみたいな奴ばかり弄っている。そ、そんな奴だ。そんな奴がい
きなりこんなことできる訳がない。なのに今こうしてマホは迫っている。だから分からな
いんだよ。なんでいきなりこの段階まで跳んできてるのがよ…」
「……ケンはずっとあたしのことを見てくれてはいなかったの?」
「いや、見ていなかったわけはないっすよ!? そりゃあね! 俺だって思春期ですも
の! 気にならないわけないっすよ! で、その、も、もし付き合う付き合わないって話
なら付き合う。でもな、ゆっくりでいいじゃないっすか? いきなりどうした?」
 ほら、ブレイク、マホブレイク。ファイブカウント経ったら負けだぞ。一旦離してくれ。
俺はマホの肩に手を掛け離そうとする。するとマホは俺から離れる。俺も起き上がり胡坐
をかく。
 それと今こいつはおかしいことを言った。
「それとよ…俺からもひとつ聞きたいことがある…。ずっと、って言うのはいつのことぉ
ー…って何やってんすか…?」
 視線を逸らし汗ばんだ上着をつまんで涼しい空気を入れる。マホを見ると、学校の鞄か
らなんか紙箱を取り出して、それを開けて中からは…。
「あたしは今こうなってもいいの」
 うぅぅわぁぁ…! 飛び道具が出てきたぁ…! デキちゃッたらやばいもんね! この
子ヤル気満々じゃねーのッ! 
「ケン…逃がさないよ…」
 マホはいつもとは違う笑顔をみせる。まるでこれから悪い遊びを楽しむようなそんな残
酷さが滲み出る笑顔。思わず後ずさる。しかし、こんな狭い部屋では逃げ場などない。
 分からない。どうして、マホは笑っているんだ。そして今こいつに捕まっちゃいけない
気がする。根拠はない。もしマホが無理してこんなことしているなら、後で謝らないとい
けないが……そんな様には見えない。俺の野生の勘が言っている。逃げろシマウマのよう
にサバンナを駆け抜けろ、と
 マホはゆっくりと近づいてくる。……どうする。避けるか、受け入れるか。どっちの選
択をとっても正しくない気がしてならない。ならどうすればいいんだ。
「う、わっ…」
 どう動けばいいのか分からない…。ただただ後ろに下がるしかない。そして考えがまと
まらないまま足に布団の柔らかい感触が伝わる。壁はすぐ後ろ、もう下がれない。マホが
笑みを浮かべて近付いてくる。……あと三歩で俺に触れる。

 一歩、部屋から出て行くか…。

 二歩、受け入れるか…。

 三歩、さぁ選べ。

「ちょっと君、ボクの生徒にそういうことしないでくれるかな」
 この声は…。
「先生!」
 声は聞こえた。だが姿は見えない。しかしマホの首に後ろから握るように手が掛かって
いる。
 その手を追うようにマホの後ろに視線を移す。すると何もない空間から手が伸びている。
そして、何もない空間にひびが入る。そしてひびは広がり、俺の部屋が砕かれ、真っ白な
何もない空間が広がる。そこには赤目のリンドウ先生と、シカバネのガラスケースの中に
飾ってあった貴族のような気品ある格好した少女のフィギュアが首を後ろから掴まれ四つ
ん這いになり顔を歪めていた。
「なん、で…? 他の…「力」…?!」
 さっきまでマホの姿をしていたフィギュアがリンドウ先生を苦渋の表情で睨む。
「君はどうしてケン君にこんなことを迫った、ほかは置いておく。まずはそこから聞かせ
てもらおうか」
「はな…せッ…」
「こんなことした理由を言うなら離してあげよう…どうする?」
「話す! 話すからッ離せッ!」
 リンドウ先生は目を瞑る。そして、フィギュアから手を離す。解放されたフィギュアは
膝をつき苦しそうに肩で息をし俺を見てそして振り向きリンドウ先生を見る。
「別に殴りかかってきてもいいよ。君の世界の上にボクの世界を被せた。ここで「力」は
使えないよ。君は意思を持った人形。しかもここでは自由に動けるが現実の世界に戻った
ら君はただの人形だ。……一捻りだよ。君なんてね」
 リンドウ先生は目を瞑ったままフィギュアに語りかける。それは戦意を喪失させるよう
な言葉。まるで警察が一気に犯人に覆いかぶさり動けなくさせるような、そんな言葉。
「さぁ、どうしてケン君を嬲るようなことをしたか。これは学校の叱咤とは別物だ。別に
説教をしに来たわけでもない。君が危害を加えなければ何もしない。すぐに拘束も解こう」
 先生は「力」でフィギュアを拘束しているらしい。フィギュアは困惑した表情で俺を見
る。そして口を開く。
「こいつの心を見たのだ。そしたらマホって女の子がいた。こいつの心の中はその子がた
くさんいたのだ。だがッ! こいつらは何時まで経ってもそのままなんだ」
 そのまま。それは俺とマホの関係のことなのだろうか。
「私の世界では恋愛は最高の見せ場であり、最高の幸せ。なのに、こいつらはいつも二人
でいるくせに何もない。そんな関係ってあるのか? 男女とは恋愛をするためにいるもの
ではないのか? そう思ったんだ。そしたらこいつは頻繁に剛士の部屋に来るようになっ
た。だから、ちょっとその子のことをどう思っているのかなと思って迫ってみたんだ」
「んー。なるほどねぇ。君はケン君とマホちゃんの関係が理解できないわけだ。なら直接
聞けば良かったんじゃないの? 現にこうやって会話できるものなんだし」
「馬鹿野郎ッ! あの子のことが好きかって聞いて、はいそうですって答えられる年齢
か?! 違うだろう! まだ恋愛というものに臆病であり興味のある。そんな子達に! 
そんな質問できるのか?! お前はッ?!」
 リンドウ先生は固かった表情が緩み、俺にどう反応すればいいか助けを求めるようにこ
っちを見る。なんだか別の意味で雲行きが怪しくなってきた気がするんですが。
「奥ゆかしくも思い、そして行動に出た結果実った時に感動が生まれるんだ。例え結果が
ダメだったとしても責められるものは誰もいない。そういうものなのじゃないのか?」
 役を演じるように手を広げ空を仰ぐフィギュア。凛とした表情をしリンドウ先生を見て
そして俺を見る。この人は恥ずかしげもなく恥ずかしいことを言う。まぁそういう世界に
いたのだろう。
「どうなんだ。お前はあの子が好きなんだろう?」
 俺に顔を近づけ迫ってくる。んなこと言われてもなぁ…。
「好きだけどよ。なんて言うのかなぁ…。あいつは違うんだ」
「違うって何がだ」
「そのぉー…なんていうの? ほら、家族。家族みたいなもんだ。お前らの世界だって家
族の名前にならないよう普通は付けないような名前だろう?」
「家族…か。でもお前、さっき迫ったら付き合うって言っただろう?」
「あぁ、言ったけどそれは……もしマホが付き合って欲しいって言ったらだ」
「そんな! それじゃあ、あの子が言い寄らなければあの子とは付き合わないって言うの
か?!」
「あぁ、そうだな。多分俺がマホに言い寄るほど好きになる事はないと思う。いや、それ
を通り越しているのかな。そこにいてくれれば良い。もし好きな奴が出来たらそいつとく
っつけばいいし。しっかり幸せになってくれって感じなのかなぁ…」
「なんだと?! 好きならちゃんと好きって言えばいいじゃないか?! お前ここは漫画
やアニメとは違うのだよ?! 女の子から言い寄ってくるなんてよっぽどの人格者じゃな
きゃ有り得ないのだよ!?」
 そんな世界から飛び出してきた奴がなんてことをおっしゃる。お前は酔っ払うと社会の
不満をぶちまけるサラリーマンか何かでしょうか。
「だから、俺だってマホは好き。大好きだよ。でも違うんだよ。一生一緒にいてくれとか
じゃないんだ。今の距離が一番お互いの為なんだよ。いや、むしろ早く誰かとくっついち
まえとも思ってる」
「なんだそれは?! ひどいッ…!」
「まぁまぁ、待ってくれ。ケン君とマホちゃんにも事情があるんだ。それに君の言い分だ
って分かる」
「フン! さっきはデリカシーのない提案したくせに」
 リンドウ先生は肩をすぼめ、どうしたもんかと俺を見る。さっきの凄みはなくなりいつ
もの先生だ。というかこの少女荒っぽ。作中でもこういう性格なのか。それとも完全に新
しい人格なのだろうか。リンドウ先生はどういう風に捉えているのだろうか。
 リンドウ先生は頭を掻きながら俺に近づき耳打ちする。
「どうする? 君の事情を話して納得してもらうか。それともさっさと帰る?」
 さっさと帰るか。事情を話すか。あまり自分の「問題」のことを人に話す気はしない。
そんな話をしたって気が引けるだけだ。だがフィギュアはそれを聞かないと納得しないだ
ろう。いや、聞いても納得しないかもしれん。
「……じゃあ俺がどうしてマホに離れていって欲しいかを簡単に教えてやるよ」
「あぁ、頼む」
 フィギュアは凛とした表情で俺を見る。リンドウ先生はどこから出したのか教卓の椅子
に座り俺らを見守る。
「去年の春休みにマホの家族と俺の家族で旅行に行ったんだ。そしたらよ俺が旅館で寝て
いる間にマホと俺の両親が海に出かけていたんだ。したら、天気が悪くなってきて海は大
時化になった。運が悪かったんだろうな、俺の両親は波に飲まれて死んだんだ。それを未
だにマホは自分のせいだと思ってるんだよ。だから俺に気を遣うんだ。今は大分、気にな
らなくなってきたけど、たまに気まずそうな表情を見せるんだ。それが俺はイヤなんだよ。
それに俺だって気を遣われている気がして二人して黙っちまうんだ」
「もしかしてさっきの部屋でもか?」
「あぁ、あの時のことを思い出すと楽しくなくなるからな。なるべく考えないようにして
いるさ。お前が飯作っている間にも何でもないことを考えていたし」
「そっか。そういうことがあったんだね…」
 フィギュアは俺から視線を外すように下を見る。
「でも、それで終わりじゃないんだ」
「ケン君、そこも言うのかい?」
「はい、ここまで話したんです。ついでに話しちまいます」
 フィギュアは俺の次の言葉を待つ。俺は逃げるように視線を外し口を開く。
「俺の両親が死んだのは春休みの終わりだった。両親が死ぬとな、学校側は一週間の公欠
を許してくれるんだ。葬式やらなんやらが終わって学校に行ったら、マホはもう俺のこと
が心配で仕方なかったらしい。でよ、それで俺に凄く構うんだ。俺はそれがウザかった。
なんだか、傷に触る気がしてな。それでマホを無視するようになったんだ。そしたらよ、
マホの奴いつの間にか学校に来なくなっていた。マホは九月頃からイジメを受けていたん
だ。俺が気付いたのはかなり後だった。しかも気付いたのは他の生徒に聞かされてだ。俺
はどうやらイジメの首謀者になっていた。マホを無視し始めたのがイジメの発端だったら
しい。俺はもう無視しないからイジメをやめてくれってクラスの奴に頼んだが聞いてもら
えなかった。そして俺もイジメを受け始めて、耐えられなくなり学校に来なくなった。そ
したら年明けて、冬休みが終わって何日かしてリンドウ先生が家に来たんだ。それで先生
にマホと一緒に立ちなおらせてもらったんだ」
「どうやってだい? 君はどうやって立ち直ったんだい?」
 フィギュアが急かす様に次を待つ。まぁまぁ慌てんなよ。
「消したんだ、マホの記憶を俺に関することを。それと他のイジメをしていた奴の記憶も。
だから、俺とマホの間には過去はないんだ。高校二年からの付き合いなんだよ。……まぁ
でも、やっぱ長い間の付き合いだから話しやらは合うからな。結局は入学前の春休み前の
関係に殆ど戻ったんだ。でも思い出はない」
「それでボクは二人の監視役。何か記憶の矛盾が起きたときにすぐ動けるようにね」
「ってことは私の先ほどの発言で、君は…」
「さっきの「ずっと見ていた」っていう言葉を聞いてよ。余計に分からなくなっちまった
んだ。マホだけどマホじゃない。受け入れていいのか、良く分からなくなっちまったんだ」
「そうか…すまないことをしたよ…悪かった…。」
 どうやら、マホとのことは納得してくれたようだ。リンドウ先生と目が合い二人して苦
笑いを浮かべる。
「それならッ!」
 嫌な汗が流れる。先生は苦笑いから視線だけフィギュアに移し露骨に嫌そうな顔して椅
子を転がし俺から離れる。
「それならッ! 二人でその心の壁を乗り越えるんだッ! 二人でその心の壁を乗り越え
た時! その先には何事にも変えがたい素晴らしい風が君らを祝福するさッ! 私は君ら
ならいつかは元に戻ると信じているッ! あんなにも美しい絆だったんだからねッ!」
「リンドウ先生! さっさと帰りましょうかッ!」
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