物語

とある街で5

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「ただいまー」
「マドカ様、おかえりなさいですねー! ご飯にします? お風呂にします? それと
もミミをメンテします?」
 トコトコとリビングから出てきたエプロン姿のミミの挨拶にレイは引き気味で僕を見
る。
「開堂君ってやっぱりヘンですわね」
「え? 僕なの?! というかミミ! なんでそんなヘンな挨拶してんの。普通におか
えり、で良いでしょ?!」
「いやー昨日の失態を取り戻すためのご機嫌取りだったんですけど、ダメでしたねー…
…」
 ミミは「たははー……」と苦笑いを浮かべてるとレイと目が合う。
「はじめまして、鳳華殿 怜と申します」
 レイもミミと目が合うと深々とお辞儀して顔をあげる。すると息が拭きかかるほど目
の前にミミが近づいていたことに思わず仰け反る。
「はじめましてじゃないですねっ。ミミの中に鳳華殿さんの声が残っています。ミミは
鳳華殿さんに謝りたかったのです。ミミを探しに来たせいでお亡くなりになって……っ
てあれ?! 鳳華殿さん死んでいませんね?!」
「やっぱり、わたくしは死んでいらっしゃるのかしら?」
「えぇ! 死んでいるんですかね?! 死んだら霊になりますネ! でも、でもっ……
触れますネっ!」
 ミミはじゃれつく犬のようにレイの周りを回って体をぺたぺた触る。そして最後にレ
イの前に戻る。
「わたくしの意識はここにありますし……体はここにありますわ。それよりちょっとよ
ろしいでしょうか?」
 レイはミミの手を取り触診するように触る。ミミは手品の観客のように不思議そうに
レイの手を見る。
「ミミさんの手は……炭素繊維でしょうか……。そこに人工皮膚を何重にも重ねてお
りますわね。代表的な義手の造り、のようですわ。こちらはどうなのかしら?」
 そう言ってレイはミミの腕に手を這わせる。ミミは少し戸惑う様子でレイに体を委ね
ている。
「ふ、ふふ、腕も人工皮膚をふんだんに使われていますわ……! ふふふ、すごい贅沢
な子ですわ。まさかこっちも……」
 不気味な笑い声をあげながら腕をたぐり寄せワンピースの上からミミの体をまさぐろ
うとするレイ。ミミはどうしていいのかわからず顔をオーバーロード気味に紅潮させ煙
を上げている。ミミが助けを求めるような目を僕に向けたところでレイに声を掛ける。
「ちょっとまった。レイそれ以上はいけない! それ以上はまだダメだよ!」
 そう声を掛けるとレイはハッとしミミから離れる。
「す、すみませんわっ! わたくしとしたことが好奇心に駆られて失礼なことを……」
「ミミの知られちゃいけないところを知られちゃった気がしますね……」
 ミミはその場にへたりと座りエプロンの肩掛けが片方外れているのを直すのも忘れて
呼吸を整えている。
「もしかしてミミさんはロボット、という類なのでしょうか?」
 レイの問いに対してミミは答えていいのか迷い、子犬のような目でこっちを見上げて
る。
「ミミはロボットだよ。けど開発者兼この家の主は残念ながらまだ帰ってきてないから
詳しくは言えないけど」
「詳しく聞くなんてとんでもないですわ。むしろミミさんの正体は誰にも他言無用です
わ」
「それで、鳳華殿さんはどうしてうちにいらしたんですか?」
「小学校の頃のレイを知っているミミに会わせとこうと思って。まぁそれと誤解を受け
まして」
「まぁ一応誤解は解けたということにしますわ。ロボットであるミミさんはメンテナン
スが必要だから……ということですわね。でも見たところ体や思考は女性なんですから
そんなホイホイ素肌を他人に見せてはいけませんわよ」
――喫茶店で服を脱いだ娘が何を言っている。
「それでは目的は達しましたので、わたくしはお暇しますわ」
「来たばっかりなのに。ちょっと上がっていけば?」
「そうしたいのですが……まだ片付けが終わってないのですし、それにー」
 言い辛そうにレイはミミを見る。僕はレイの手元を見るとお預けを喰らっている犬の
ようにぷるぷるしている。詳しく聞くのは控えると言っていたが本心はそうでもないら
しい。
「うん、わかった。気をつけてね」
「えぇお邪魔しました。明日、何か分かったらお話しますわ」
「それじゃ」と言うとレイは足早に帰っていく。
「そういえば、鳳華殿さんはどうして生きているんですかネ?」
 ミミがそういうのでレイとの話しをかいつまんで話した。
「なるほどですね。では鳳華殿さんもミミと一緒なんですネ」
「多分ね」
「ミミも何かお役に立ちたいです」
「ミミはまず晩飯をちゃんと作ってくれればいいよ」
「ミミは晩御飯ちゃんと作れますネ! 昨日はたまたまダメだったんです」
「はいはい、今日は失敗しないの作れよー」
 ミミはまだ何か言いたげに頬を膨らましているが俺はさっさと自分の担当する家事を
し始めた。
 晩飯の時間になるとミミはまだ不機嫌そうにしているが晩御飯らしい晩御飯が食卓に
並んでいる。ちなみにノリコさんは帰るのが遅くなるから先に食べてとメールが入って
いた。
「いただきます」そう言って晩御飯に手をつける。
 昨日の出来が嘘のようにおいしく出来ている。ロボットなのに味覚などが理解できる
のはこの家の主でありミミの産みの親の努力の賜物なのだろう。
 自然と箸が進みあっという間に晩御飯を食べ終える。
「ごちそうさま」食べ終えた食器を台所に置いてリビングを出ようとしたら。
「ミミ、明日はもっとすごいの作りますネ! だから……明日は楽しみにしてて欲しい
ですネ」
「ん? あぁわかった。楽しみにしてるよ。そいじゃごちそうさま」
 俺は次の日の放課後レイに声を掛けてみた。
「昨日はどうだった?」
「……引越しの際の資料が多すぎてまともに調べることができませんでしたわ。資料は
わたくしが目を通さないとダメですからどうしても時間が掛かりますし」
 レイは口元を手で押さえるが大きなあくびが手の平からはみ出ている。
「今日、明日メイドが休みですので早くて後二日は片付けですわ」
「片付けってそんなに大変なの?」
「機材やら資料やら大量にありますので。わたくしも機材の運び込みを手伝うと言った
のですが執事が運び込みをやると言ってわたくしは資料や家具の整理をしているんです
わ」
「執事やらメイドやら鳳華殿家は色々出てくるね」
「執事は幼い頃から世話になっている親戚の叔父様ですの。メイドはまぁあだ名みたい
なものですわ」
「昨日行った喫茶店のメイドさんのような格好でもしてんの?」
「と言いますか、あの喫茶店のメイドがメイドですわ。違うクラスにいたと思いますわ」
「え? ここの生徒なの? 雰囲気すごい大人って感じだったけど」
「好きなんですの、役割にはまるのが。幼稚園の頃のままごとなんてドラマに影響受け
てドロドロな展開をやらされましたわ。小さい頃から何も変わっていませんわ」
「あのメイドさんの微笑はそういう役割だからなのか。他の姿が全然イメージできない
よ」
「引越しの手伝いも引越し業者の格好でやってきましたの。全く紛らわしいったらあり
ゃしませんわ」
「徹底してるね……。で、今日はその執事さんしかいないんだ」
「えぇ、今日もかなり時間が掛かりそうですわ。そのくせわたくしには手伝わせないん
ですもの」
「ねぇ、引越しの手伝いをしに行ってもいいかな?」
「結構ですわ。手伝って欲しくてお話したわけではありませんわ」
「いや、これは僕のお願いなんだ。ちょっと気になることがあってさ。その執事さんっ
て名前は折戸って言うの?」
「えぇ、そうですわ。……もしかして小学校の頃にお会いしたことがありまして?」
「うん、だからもしかしたら何か知っているかもしれないから話をしてみたいんだ」
「わかりましたわ。一度家に帰ってからうちに来ます?」
「いや、このまま向かおう」
 僕は学校から出るときにミミに『ごめん、帰り遅くなりそう。ノリコさんと先に食べ
てください』とメールを入れる。
 するとすぐに『はいですネ! 気をつけて帰ってきてください』と笑顔の絵文字付き
で返信がくる。
「着きましたわ」
 僕はケータイから目を離し顔をあげる。そこには普通の家とあまり変わらない三階建
て一軒家が建っている。
「どうしましたの?」
「いや、てっきりもっとお嬢様お嬢様した家なのかと思ってたので」
「リムジンに赤絨毯が必要でしたかしら?」
「いやそういう事じゃなくて」
「本家はそんな感じでしてよ。ここは鳳華殿の持つ家の一つですわ。わたくしと執事し
か住まないのでここにしましたの」
「それでも二人で住む家って大きさじゃない気がするけど」
「一番小さいのがここしかなかったんですのっ。ここで世間話するために来たわけじゃ
ないんでしょう? 入りますわよ」
 レイは家の中に入る。
「お邪魔します」
 レイの後に続いて中に入るとダンボールが足に当たる。
「そこらじゅうにダンボールが置いてあるので踏んで壊さないよう気をつけてください
ね」
「あ、うん気をつける」
 多分壊したら弁償しきれない程の額なのだろう。開堂家にある機材の領収書を見たこ
とあるが桁が見たこともない数だったのを覚えている。
「お帰りなさいませお嬢様」
 そう言ってダンボールの壁の向こうから出てきたのはかつて見たことのなる老紳士の
顔だった。
 僕を認識すると眉をひそめレイと僕を見比べる。
「こちらの方は、どちらさまでしょうか?」
「わたくしの友人ですわ」
「マドカ、です」
「これはこれは、お嬢様が数日で殿方を家にお連れするとは……」
「その心配には及びませんわ。マドカは折戸に用事があって来たのですから」
「わたくしに、でございますか?」
 折戸にとってこんな若輩者の来訪者は滅多にないことだろう。どうしたものかと困惑
の表情が読み取れる。
「とりあえず、上がってはどうでしょうか? おもてなしする程片付いてはおりません
が」
 折戸がダンボールの奥に消えていくのでレイと二人でついて行く。するとある程度片
付いているリビングに通されると折戸は振り返りレイをみる。
「お嬢様、申し訳ございませんが二階に置いておいた荷物は片付けましたのでそちらに
お嬢様の荷物を移動させといてください」
「あら、わたくしはマドカと折戸の話しを聞きたいのですが?」
「お嬢さま、ただいま荷物は十分の一も片付いておりません。お嬢さまの荷物をわたく
しが片付けようとするとお怒りになるので他の荷物に手が付けられないのでございま
す」
「……わかりました。ある程度片付けたら降りてきますわ」
 レイはリビングから消え階段を駆け上がっていく。
「それでどういったご用件でしょうか?」
 折戸は鋭い眼光で俺を見る。
「折戸さんは俺のことを知っていますか?」
「いえ、存じません」
その目つき、話し方から明らかに俺のことを邪険にしていると感じ取れる。
「俺は折戸さんのことを知っています」
「……どこかでお会いしましたか?」
「小学校の頃に俺お会いしてます」
「わたくしは出会った記憶はございません」
「初めて会ったのは小学校の女子トイレ。レイが呼んであなたは窓から入ってきた」
「はて……なんのことやら」
 折戸は取り付く島もない。何か切り口を変えて聞くしかない。
「レイは小学六年生の時の記憶がないんです」
「お嬢様とて人の子。記憶に残らないこともあるでしょう」
「レイ自身もその年だけ記憶がない事に疑問に思っているんですよ」
「お嬢様はかつて神童と言われて持て囃されました。しかし今は他と変わらない普通の
子供でございます。忘れてしまうこともあります」
「レイは昔のレイより劣っているから研究から外された。そう言っていました」
「それは違う……」
「じゃあ他に理由があるんですか?」
「……麻都円とおっしゃいましたね。あなたはお嬢様の何なんでしょうか? あまり深
く入り込まない方がいい」
「レイはオーバーライセンスの技術が施されてるから研究から外されたのですか?」
「お嬢さまのためにもそれ以上言葉を紡ぐのはやめなさい」
「レイはすでに自分がオーバーライセンスの技術で生き返ったと疑っています」
「帰りなさい。わたくしから話すことは何もない」
 折戸さんは話す意志を一向に見せず、むしろ追い返そうと立ち塞がるように俺の前に
立つ。怯みそうになるがこのまま帰るわけにはいかない。俺はこの人に言わなければな
らないことがある。
「……わかりました。帰ります。ただ一つだけ教えてくれませんか?」
「なんでしょうか。質問によります」
「鳳華殿怜は死んだのでしょうか?」
「…………」
「……もし、死んでしまっていたのでしたら……」
 俺は折戸さんに向けて頭を深く下げる。
「本当にすみませんでした……! 俺がレイを巻き込んでしまったせいで……死なせて
しまったんです。本当にすみませんでした……!」
 ミミを探しに行ったあの日、俺はレイの話を聞かずに勝手にゴミ山を漁りそして死に
掛けた。そんなバカな俺をレイは庇い死んだ。折戸さんや家族の人とはあの日以来一度
も会っていない。小さかった俺には何もすることが出来なかった。だから今さらだけど
言わなければいけないと思った。
「……お顔を上げてください」
 折戸さんの声は先ほどのような邪険さはなく深く静かなものだった。顔を上げて折戸
さんを見る。
「お嬢様は……死んではおりません。それにあなたのことを恨んでいる者は誰もいませ
ん」
 折戸さんは俺の横を通り過ぎて廊下に出る時に呟いた。
「なぜならあなたの過去を知るものは、ここにはおりません。だからあなたは気に病む
必要はないのですよ」
 俺は廊下に出て折戸さんを追いかける。折戸さんは玄関のドアに手を掛け外を眺めて
いる。夕日が当たっているせいなのか折戸さんの横顔は黄昏ているように見えた。
「……折戸さん、俺、今は開堂円って言うんです。親戚に引き取られて、苗字が変わっ
たんです、今年の春に」
「開堂、ですと……?」
「……それだけです。それじゃお邪魔しました」
「待ちなさい」
「……なんでしょうか?」
「――ファントム。その名を知っているかその親戚の方に聞いてみるといいでしょう」
 俺はその言葉の意味がなんのことなのか繋がらなかった。
「あ……、……ありがとうございますっ……!」
 俺はもう一度頭を深く下げる。
「このことはお嬢様には決して秘密ですよ。お嬢様は人の思考を見透かす御目をお持ち
ですからね」
「そんな目を持ってたらバレてしまいますよ。それにそんな目は普通の高校生はもって
ないですよ?」
「お嬢様をどなたと存じているのです?」
「そうですね……。気をつけます」
 俺は玄関を出て折戸さんに向き直る。
「今日はご迷惑をお掛けしました」
「全くです。今後はこのようなことはないようにして頂きたいですな」
「す、すみません……」
 折戸さんの表情から先ほどのような寂しさは消えているようにみえた。
 俺は足早に家に帰ると靴が二足、ミミのとノリコさんの靴があった。
「おかえりなさいですネ! 遅くなるってメールするから心配しましたよ」
「ただいまミミ、ノリコさんは?」
「所長ならリビングのソファーで寝てますよ」
 それを聞いてリビングへと駆け込む。
「ノリコさん! ちょっと聞きたい事があるんだけどっ」
「どうしたのー? そんな息せき切って」
 ノリコさんはソファーに寝転がりながら何か資料に目を通していた、
「ファントムって言葉がどういう意味か教えて欲しいんです」
「んー? 幻影とか、幽霊かしら。わたしに聞くより英和辞典に聞いた方が早いわよ
ー?」
 生返事な様子で答えるノリコさん。俺はノリコさんの前に座って真剣な表情を作る。
「そのファントムじゃありません」
「じゃあテレビか何かの? わたしテレビ見ないからわからないわよ?」
「ノリコさんがリビングに置いておいた資料、俺が研究室に移動させたんですけど、そ
の時に目に入った言葉があるんです。『ファントム社』って単語が、その会社のことを教
えて欲しいんです」
 ノリコさんは体を起こして資料を膝に置く。そして一つため息をついて口を開く。
「どうして知りたいのかしら? あんまり人に話せる話じゃないの。相応の理由がある
なら聞かせて頂戴」
 ノリコさんは資料に視線を落としたまま聞いてくる。なんだか対応がテキトーな気が
したが、俺はなるべく簡潔になるよう説明をした。
「……死んだはずの鳳華殿怜が俺の通う高校に転校してきたんです。レイは自分が死ん
でいることや俺のことを知らなかった。それで色々レイに話を聞いている内にお世話係
をしている折戸さんの話が出てきたんです。それで折戸さんにどうして死んだはずのレ
イがいるのかを聞いたらノリコさんにファントムのことを聞けば分かる、と言われまし
た」
 数秒ほど沈黙が流れる。ノリコさんは資料から視線を外し俺を見る。
「ふむふむ、そういうことなら教えてあげる。ファントム社について」
 ノリコさんはソファーに座りなおす。俺はそそくさとノリコさんの向かいの椅子に座
る。
「ファントム社っていうのは簡単にいうならクローン技術を持つ会社。それでオーバー
ライセンスを取得したの」
「じゃあ、今のレイはもしかして……」
「死ぬ前、マドカと出会う以前のデータで作られたクローンね……って言ってもマドカ
にはわかりづらいから説明してあげる。ファントム社は受精卵の次の段階――『胚』
――ここをいじれないか目をつけたの。胚っていうのはまだ人を構成する情報が一箇
所に集中していてね。ファントム社はここに手を加えたの」
「そんなところにですか……。手を加えるってどうやって?」
「サイバーダイブシステム。うちからファントム社に技術提供してるの。ファントム社
はサイバーダイブシステムで胚の解析をして、その解析データを書き換えた。それでフ
ァントム社は胚に書き換えたデータを上書きした。胚にデータを上書きする技術を『ア
クセスエンブリオ』っていうの」
 ノリコさんはそこで一度言葉を切って人差し指を立てる。
「さて、ここで問題です。上書きされた胚は何に成ると思う?」
 突然のクイズ。この人は普通に話を進められないのかと思いながらも考える。
「赤ちゃん、じゃないんですか?」
「赤ちゃんにも成るわー。そうね、例えを出すなら『今のマドカ』のデータを胚に上書
きすると『今のマドカ』」が生まれるの」
「ん、どういうことですか?」
「胚が胎児に成るんじゃなくて、胚が書き換えたデータの人間に普通の成長の過程
をすっとばして直接成るの」
「じゃあ、レイは『俺と知り合う前のレイ』のデータを胚に上書きしたってことになる
んですかね?」
「話しを聞く限りそういうことになるわね。胚から上書きしたデータになるまで十月十
日、まぁ約二百八十日で成る。それと資料によると胚なら何でもいい訳じゃない。移植
手術と同じで適合する胚じゃないと上書きしてもちゃんとした形にならないそうね」
「ノリコさんひとついいですか?」
「ん、何かしら?」
「そのすごい技術だってのはわかったんですが、胚って赤ちゃんに成るんですよね。そ
れをいじるってのはその……人体実験? みたいなものじゃないないんですか? それ
ってそのー……やって良い事なんですか?」
「微妙なところね。大雑把な言い方だけど法律でヒトの胚に手を加えることは禁止され
てないの。だけど手を加えた胚をヒトの胎内に移植することは禁止されてるわ。ヒト一
人入る試験管と容器の中で育てる技術でも用意すれば、まぁセーフだけどね」
「でも、さっき適合する胚じゃないとちゃんとした形にならないって。それって実際に
やって失敗したからわかった事なんじゃないんですか?」
「そうよ、マドカの言う通り倫理的、法律的にまずい人体実験をやっているわね、それ
に失敗もして死者も出してるわ。でも法には引っかからないの、オーバーライセンスを
持っているとね」
「オーバーライセンスってそんなにすごいものなんですか」
「えぇ、そうね。いい機会だから教えてあげる。ここはね開発特区と言うのよ。この街
ではわたしと同じように国に認められてオーバーライセンスを持っている科学者がこの
街で研究しているの。オーバーライセンスを持っているということはね、倫理、道徳、
法律から解放され、研究することが許されるの」
「それって研究のためだったらやりたい放題ってことじゃないですか」
「それでも、人として倫理観から外れた実験は中々できないものよ。まぁ、ファントム
社はかなり悪い噂ばかりだけど」
「そんな人体実験をやっていたらテレビで取り上げられたりしないんですかね」
「オーバーライセンスを持つ科学者は公にその証を持っていることを知られてはいけな
い、これはマドカも知っているでしょ?」
「えぇまぁ、というかそれしか知りません」
「これは一応国も協力しているから情報操作とかやってくれるのよ。と言ってもやるこ
とは滅多にないけどね」
「そういえば、ノリコさんはどうしてそんなファントム社のこと詳しいんですか?」
「え、それはさっき言わなかったっけ? サイバーダイブシステムの技術を借りたくてや
って来たの。その時のファントム社はまだ出来たばかりの会社だったの。だからうちに
技術提供料が払えなくてね、うちがアクセスエンブリオを借りるという事で足りない技
術提供料を埋めたのよ。だから今もファントム社の情報は入ってくるわよ。主に悪い情
報が。マドカも見てみるー? 晩御飯食べれなくなっちゃうわよー」
 ノリコさんは手元の資料をひらひらさせる。そんなものをソファーでくつろぎながら
読んでいたんですかい。
「アクセスエンブリオを借りてるってことは、ノリコさんもクローン作れるんですか?」
「作れるわよー。ミミ作るときに最初は私のクローン体にミミの精神を入れようと思っ
たんだけどね。労力を考えたらイヤになったのとメンテナンスで医療技術が必要になる
から費用がかさむのよね」
「俺、いま初めてノリコさんがすごいと思いました……」
「ちょっとちょっとー。それどういうことかしらー?」
「ノリコさん家だと科学者してないんですもん。でもファントム社もすごいですね。ク
ローン人間なんて映画だけのものかと思いました」
 話しを聞いてるとファントム社のやっている人体実験は良い印象は受けない。けどク
ローンと聞くノリコさんのサイバーダイブシステムよりわかりやすい超科学な分ワクワ
クしてしまうモノがある。
「んーでも、もうファントム社は潰れるわよ」
「えぇッ! そうなんですか? どうして?」
「技術提供料の支払いがもう三ヶ月滞納してるの。滞納一ヶ月目に手形でお願いされた
からもうダメかなーって思ってたんだけど。そろそろカウントダウンに入ってんじゃな
いかしら? あ、手形はちゃんと断ったから大丈夫よ」
 手形が何なのかはよくわからないけど支払いに使う何かなのだろう。けど、そのクロ
ーン技術の会社が潰れると言うのは周りに影響が出るんじゃないだろか。
「クローンを作ってる会社が潰れたら、クローンたちはどうなるんですか?」
「心配ないわ。クローンの管理は会社側じゃなくて利用者側でするからね。それに確か
五年もすれば個体が安定してくるからほとんど普通のヒトと変わらないわ。だからレイ
ちゃんは大丈夫なはずよ」
「安定っていうのはどういうことなんですか?」
「えーっとね、クローン体も出来たばかりの時は赤ちゃんと同じで免疫力というか抵抗
力が弱いの」
「あ、それで五年くらいすると抵抗力が人並みになって安定ってわけなんですね」
「そーゆーこと。はい以上。チョウカ学のある街のお話でした。お風呂入っちゃうね」
 ノリコさんはそう言って自分の部屋へと戻っていった。
 その話しを聞いて俺はレイがなんで帰国してきたか考えてみた。
 レイの家族はクローン体として生まれ変わったばかりのレイから目が離せない状態だ
ったんだ。
 なぜか? それはクローン体は五年経たないと体が安定しないから。
 それにレイのお父さんはレイをあまり研究に参加させたくなかったんじゃないだろう
か。
 なぜか? それはノリコさんの話を聞いているとオーバーライセンスの研究は人道的
なものから外れることがあるらしい。まだ子供のレイにそんなことやらせたくないとい
うのが親心ってやつなんじゃないだろうか。
 けどレイはクローン体だから安定するまでそばで診ていないといけない。
 だから海外に連れて行きレイの健康を逐一チェックしていた。
 でも家族はレイがクローンであることは知られたくなかった。
 なぜか? それはレイが死んでしまっていることを知られたくなかったからだ。自分
が死んだことやクローンであることでショックを受けないか心配したんだろう。折戸さ
んの様子から気を遣っているのを窺えた。
 だから海外の研究に参加させるというそれらしい理由を作った。それで五年が経ちレ
イの体が安定してきたことがわかり折戸さんと帰国させた。レイはそれを研究で成果が
出せなかったと勘違いしている。
 なんて話なんじゃないかなーって思ってみたり。レイだったらスパッと論理立てて納
得できるようなことを言ってくれるんだろうけど。
「どうしてマドカは紙とにらめっこしてるんですかネ?」
 あいにくここには俺と台所からやってきたミミしかいない。ミミはメモを覗こうとす
るが俺は手早く四つ折りにしてポケットにしまう。誰かに話すような事情でもない。そ
れにミミに話してもわからないだろう。
「なんでもないよ。そういえばミミはこの街のこととかオーバーライセンスを持ってい
る意味を知っているのか?」
「もちろん知ってますネ。というかミミの正体が普通の人にばれたらここにいられなく
なっちゃいますネ。それは絶対にイヤだからそれだけはいつも気をつけてますですネ」
「たしかにミミがいなくなると俺もイヤだからな。主に晩飯が毎日インスタントになっ
ちゃうしね」
「そーですネ。だからもっとミミを大事にしてくださいネ!」
「はいはい」とミミに相槌を打つ。それにしても今日はとても内容の濃い一日だった。
一つ大きなあくびをすると急に睡魔が襲ってきた。
「俺眠くなってきたから、今日はもう寝るよ」
「晩御飯はいいんですか?」
「あぁいいや。そいじゃ、おやすみ」
「あ、……おやすみなさいですネ」
 ミミが何か言いたそうにしていたような気がしたが眠気に勝てず俺はふらふらと自室
に戻る。そしてそのままベッドに身を投げたところで記憶は途切れた。

 早く寝てしまったせいかかなり早い時間に目を覚ました。
「そのまんまで寝ちゃったのか」
 俺は寝ぼけ眼で風呂に入り、頭をさっぱりさせる。
 ノリコさんが帰ってきてる時はノリコさんがメンテナンスをするが、六時という早い
時間に目が覚めて時間を持て余していた。
「ミミのメンテでもするか」
 俺は研究室に入る。相変わらず資料でごった返している。そしてそんな部屋の中央で
ミミは絵画のモデルのように椅子にきっちり座って目を閉じている。普段は髪を結って
いるがこの時間は髪留めバッテリーは充電中だから髪を下ろしている。髪を下ろしてい
る姿は全く動かないせいか彫刻のような雅な雰囲気を纏っている。
「ミミ、朝のメンテするぞー」
「……」
 ロボットでも眠いときでもあるのかな、と俺はテキトーなことを考えながらミミの状
態を逐一チェックしているパソコンの前に座る。
「サイバーダイブを試みます」
 バイザーを頭に被りチョウカ学の行使と認証の言葉を口にしてパソコンのキーを押す。
 浮遊感が体を支配し、体と精神が分離していく。かすかに感じる重力。ゆっくりと穴
に落ちていく感覚はあまり慣れたものじゃない。徐々に重力が強くなり地に足つく感覚
が戻ってくる。
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